2020年の東京パラリンピックでは必ず金メダルを獲ります! 【菅野元揮(ウィルチェアーラグビー)インタビュー】

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【ニッポンチャレンジドアスリート】
このコーナーは毎回一人の障がい者アスリート、チャレンジドアスリート、および障がい者アスリートを支える方にスポットをあて、スポーツに対する取り組み、苦労、喜びなどを伺います。

菅野元揮

菅野元揮(すがの・もとき)
1992年川崎市生まれの24歳。元々スキー選手でオリンピックを目指していたが、試合中の事故で車椅子生活に。その後ウィルチェアーラグビーに出会い、日本代表入り。リオパラリンピックの代表からは惜しくも漏れたが、4年後の東京大会を目指す期待の星である。

―元々スキー選手として若くして国際大会にも出場していた菅野。アクシデントは全日本選手権の最中に起こった。

菅野 事故が激しすぎてあまり記憶にありません。100キロくらい出ている時に林に突っ込んで、頚椎を4本粉砕骨折してしましました。上半身は動くのですが、下半身、足から下は全く動かない状態です。

―そんな絶望的状況の中、改めてスポーツを始めようと思った理由は?

菅野 スキーが出来なくなってしまったという時に、自分らしさがなくなってしまったなあと思いました。入院している時にベッドの上でこのままではダメだ、何かしなくてはいけないと必死に模索し、今の競技に出会いました。

―最初に菅野が取り組んだのが、椅子のついたソリに乗って滑り降りるチェアースキーだった。今までやってきたアルペンスキーの経験が生かせると思ったが、思わぬ負担があった。

菅野 雪の上で寒い中、車椅子で準備をして上から滑ることはとても負担があります。チェアースキーをする人は自分よりも障がいの軽い人しかいない。僕は首を折っていて障がいが重いほうなので、準備が煩わしくて競技に集中することが難しく、歯がゆい思いをしました。

―そんな中、菅野は新たな競技、車椅子どうしが激しくぶつかり合うウィルチェアーラグビーに出会った。開幕したリオパラリンピックの正式種目であり、日本代表はメダル候補だ。菅野がこの競技を知ったきっかけは?

菅野 入院先の病院の先生に教えていただいて、『マーダーボール』という映画を観たんです。ウィルチェアーラグビーのドキュメンタリーで、競技のことも映画の中で説明しているし、選手の生活や何で障がいを負ったのか、また、それに対する一人一人の気持ちを細かいところまで追っていて、とても感動しました。ウィルチェアーラグビーの世界観がかっこよくて始めようと思いました。

―高校生の時、地元、神奈川のチーム横浜義塾に入り、ウィルチェアーラグビーを本格的に始めた菅野。当初はどんなトレーニングに取り組んでいたのだろうか?

菅野 パフォーマンスが低いことが気に入らなかったので、毎日学校終わって毎日遅くまでとレーニングするという日々でした。

―車椅子どうしが激しくぶつかり合い、タックルもルールで認められているウィルチェアーラグビー。大柄な選手のタックルに恐怖を感じたことは?

菅野 「これならオレは上に行けるな」と感じました。この衝撃ならば、自分はもっと強いタックルができるなと思いました。

―手厚いサポートを受けるには競技の認知度を高めていかなくてはならない。菅野が印象に残っている国際大会は2014年に韓国の仁川で行われたアジアパラ競技大会。決勝の相手は韓国だったが日本代表は敵地で勝利。みごと、金メダルを獲得した。

菅野 味方がチャンスを作ってくれたので、自分はそのチャンスを逃さず、相手選手をラインの外に吹き飛ばすというプレーができたと思います。

―リオ出場は惜しくも逃したが、菅野は4年後の東京パラリンピック出場に向け、協会育成選手として日々、トレーニングに励んでいる。今、24歳の菅野が磨きをかけている部分は?

菅野 海外のパワーのある選手に対してどう対応するかということです。そのために体を大きくしてパワーをつけ、さらに俊敏さをつけていくということを順序立ててトレーニングしています。

―開幕したリオパラリンピック、ウィルチェアーラグビー日本代表はメダルを期待されている。代表入りしたことのある菅野が注目している点は?

菅野 オーストラリア戦とアメリカ戦です。両チームともパワーで押してくるのですが、アメリカはち密な計算も入れてゲーム作りをしてくるので強敵だと思います。日本がどういうプレーを当てていくか、エースプレーヤーに対して周りがどのような試合運びをするか、パワーがあるチームにどういう試合をしていくかというところに見どころがあると思います。

―菅野にウィルチェアーラグビー日本代表で注目の選手を聞いてみた。

菅野 池崎大輔という選手はものすごいです。本能で車椅子を操作しているところがかっこいいです。

―菅野は今年7月それまで勤めていた外資系の金融会社からLINE株式会社にアスリート雇用という形で転職した。そのわけは?

菅野 それまで働いていた会社では夜までフルタイム働いて、そこからジムに行く、もしくはチームに途中から合流してトレーニングするということになるので、アスリートとして生活する時間がありませんでした。普段の生活の7~8割はビジネスマンとしての生活でした。その中でアスリートとしてのパフォーマンスをどう上げていけるか、悩んでいた時にLINEに声をかけていただき、トレーニングする時間の兼ね合いを考え、転職することにしました。

―より高いレベルで戦うため、国内の所属チームを埼玉の所沢を拠点とする強豪、ブリッツに移籍した。

菅野 ブリッツはトップレベルのチームなので選手の意識も高く、その中で自分もブラッシュアップできたらと思っています。

―12月に行われる日本選手権、菅野が所属する埼玉のブリッツは大会二連覇がかかっている。ライバルは?

菅野 北海道のチームとか、沖縄のチームに外国人のとても強い選手が入ってきたので警戒しています。

―改めてウィルチェアーラグビーのお魅力を菅野に聞いてみた。

菅野 選手同士がものすごいスピードで車椅子でぶつかり合って、転がって、転ぶ瞬間、そこにすべてがあると思います。

―最後に菅野からメッセージをもらった。

菅野 2020年の東京パラリンピックには出場して、金メダルを絶対に獲りたいと思います。

(2016年9月5日~9月9日放送分より)

ニッポンチャレンジドアスリート
ニッポン放送 毎週月曜~金曜 13:42~放送中
(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
番組ホームページでは、今回のインタビューの模様を音声でお聴き頂けます。

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