昨今のアナログ盤ブームで、改めて注目されているのが歌謡曲のレコード(ドーナツ盤)。
デジタル音源より音に厚みがあり、またCDでは味わえないジャケットの大きさも魅力の一つ。
あえて「当時の盤で聴きたい」と中古盤店を巡りレコードを集めている平成世代も増えているようです。
早いもので、今年も紅白出場歌手が発表される季節になりました。いつも顔ぶれを見るたびに思うのは、「ああ、ここにあの歌手の名前があったら…」という虚しき願い。1992年、ご主人との死別を機に芸能活動を一切止め、表舞台から姿を消したちあきなおみのことです。その偉大さは改めて言うまでもないですが、ここまで完全沈黙しているのに、忘れられるどころか、日に日に復活を望む声が高まっているのは、やはり聴く側を引き込まずにはいられない、あの妖しい“声”にあると思います。そして彼女の生き方自体がBlues。
紅白には通算9回出場していますが、どのパフォーマンスも強烈で印象深く、子供心にもよく憶えています。きょうは実際に紅白で歌った曲のレコードをピックアップしてみましょう。
【ビギナー向け】・・・『喝采』(1972)
言わずと知れた1972年のレコード大賞受賞曲ですが、驚くのは発売日が9月10日なのです。つまり発売からわずか3ヵ月でレコ大に輝いたわけで、これは異例のこと。この曲が世間に与えたインパクトが、いかに大きかったかが分かります。
以前、作詞の吉田旺氏に、この曲が生まれた経緯について伺ったことがあるのですが、巷間伝わっている「ちあきの実体験をベースに書いた」というのは、実は事実でないそうです。吉田氏の体験がベースになっているのですが、この詞を渡したときに、ちあきは涙ぐみ「辛くて歌えない」と言ったそうで、吉田氏いわく「どうやら彼女は、この歌詞に近い体験を過去にしたようでね…」とのこと。世間的にはその方が話題になるので「実体験」として売り出されましたが、この曲が爆発的にヒットしたのは、ちあきの心の奥底から湧き出る悲痛な叫びが、聴く人の心を打ったからでしょう。情念といった言葉では形容できない凄味を感じる曲です。紅白やレコ大での絶唱もインパクトがありましたが、若き日のコロッケの形態模写が、その思い出を台無しにしました(笑)。
大ヒット曲にしては珍しく高価で取引されており、店舗によっては1,000円超えの値段が付いているのは、意外とこのレコードを手放さない人が多いからかもしれません。
【上級者向け】・・・『夜へ急ぐ人』(1977)
ちあきは1970年代後半、フォーク、ニューミュージック系のアーティストから曲提供を受けていた時期があり、これもその頃の一曲です。作詞・作曲は『生きてるって言ってみろ』の友川かずき。友川も訛り全開で魂の叫びを歌うシンガーで、一度聴いたら忘れられないタイプのアーティストですが、その友川がちあきの曲を作ったのですから、尋常であるはずがありません。とんでもない曲です。
友川によると、『生きてるって…』に感動したちあきから連絡があり、作品を依頼されたそうで、書く前にライヴを観に行ったところ、ちあきが歌ったジャニス・ジョプリンのカヴァーに衝撃を受け、「そうだ、ジャニスだ!」とこの曲を書き上げたとのこと。実は友川もジャニスの熱狂的ファンだったのです。ジャニスも憑依型アーティストでしたが、やはり根っこが繋がっていると、出逢うべくして出逢うのですね。
1977年の紅白では真っ黒な衣裳に身をまとい、髪を振り乱しながらこの曲を熱唱しましたが、華やかなスターたちがヒット曲を歌う中、あのおどろおどろしさは異様でした。司会の山川アナが「気持ち悪い歌ですねえ…」とつい余計なことを言ってしまったのは、この曲が持つ「闇の力」を物語るエピソードです。
なかなか市場に出て来ないので、見付けたらすぐ買うことをお勧めします。2,000円前後かと。
【その他、押さえておきたい一枚】
『四つのお願い』(1970)
お色気歌謡路線を歩んでいた頃の一曲。1970年紅白初出場時に歌う。他愛ない歌詞も、この人が歌うと妖艶に聴こえるから不思議。
『夜間飛行』(1973)
『喝采』『劇場』に次ぐ「ドラマティック歌謡3部作」の完結編。曲間に流れる外国語の機内アナウンスは仏語。1973年紅白で熱唱。
【チャッピー加藤】1967年生まれ。構成作家。
幼少時に『ブルー・ライト・ヨコハマ』を聴いて以来、歌謡曲にどっぷりハマる。
ドーナツ盤をコツコツ買い集めているうちに、気付けば約5,000枚を収集。
ラジオ番組構成、コラム、DJ等を通じ、昭和歌謡の魅力を伝えるべく活動中。