50年前の1967年1月9日は、グヤトーンと共に日本のエレキギターを引っ張ってきたエレキギターメーカーであるテスコ株式会社の経営が行き詰まり河合楽器の傘下に入り吸収された日である。
テスコがギターメーカーとして本格化したのは1950年ごろで、朝鮮戦争に行く米兵に飛ぶように売れたのがきっかけだという。そのころからブランド名は「テスコ」。アヲイ音波研究所から日本音波工業株式会社に組織を変更したころで当時の主力商品はハワイアンギター(スティールギター)とピックギターと呼ばれたアーチドトップギター、そしてそれにピックアップを取り付けたものだ。最初のソリッドボディのエレキギターはギブソン・レスポールを真似たもので同様のシェイプでゴールドトップだった。
アメリカでのロックンロールのブームから日本でもカントリー&ウエスタンやロカビリーが流行るようになり、ロック色の強いエレキギターに関心が集まり出荷が増えてくるようになり、1962年には製造部門として「テスコ弦楽器」を子会社として作り、大量生産に乗り出すことになる。「サーフィン」というダンスリズムが生まれその伴奏でギターバンドが新しいバンド形態として注目されるようになる。このころ、アンプ内蔵のTRG-1や、本格的なフェンダー・スタイルのソリッドギターTG-64が開発され次々と新製品も発売される。1964年には「テスコ株式会社」と社名変更する。
1965年1月、ベンチャーズとアストロノウツの来日で国内のエレキブームが爆発する。テレビアニメの主題歌にまで「テケテケ」と言われたトレモログリッサンドが入るほどの大エレキブームで木材加工機械を持っている業者なら桶屋でも下駄屋でもギター(あるいはそのパーツ)を作ったと言われる。
ブームはテレビでエレキ合戦を流行らせて青少年はエレキギターに夢中になった。加山雄三の映画『エレキの若大将』でテスコは協賛し何本ものTG-64を画面に躍らせた。そんなブームのさなか足利教育委員会の「エレキ禁止令」や細川隆元の「エレキ亡国論」などでエレキ追放運動がはじまり急速にブームが冷え込んでいく。
翌年のビートルズ来日でステージにテスコアンプをずらりと並べ前座のブルーコメッツの三原綱木に新製品を持たせてアピールしたが、拡大した設備が重荷になりテスコはついに河合楽器の傘下に入り吸収される。それによって「テスコ」というブランドは残り生き延びることができたが、独立した社員によって「ハニー」「ファーストマン」といった新たなブランドも誕生した。
ユーザーの興味はエレキインストからボーカルが入ったものに移り、ソリッドギターからセミアコに移る。GSグループ・サウンズが当たり始めテスコのセミアコも健闘するのだが、それ以上にアンプが好評を得る。グループのバックにずらりと並ぶ大型のアンプには「TEISCO」の文字が目立ち印象付けた。中でもGSの王者ザ・タイガースの後ろにはキング1800というまさに国産アンプの頂点と言えるものが並び壮観だった。
1970年にはGSブームは衰えフォークブームが来てアコースティックギターの時代となる。テスコは70年代に入ってからもギブソンやフェンダーのコピーモデルを作っていたが70年代のうちにギター製造から手を引き主要商品をキーボードへとシフトを変え、2004年にブランドもなくなり完全に消滅するのだった。現在は日本よりも海外のコレクターたちにテスコ・ブランドのギターのファンが多く、探し回っているようだ。
【執筆者】岩根健一(いわね・けんいち) : ライター&ギター・ウォッチャー。80年代からビートルズ(の楽器)について執筆。「ビートルズ全曲バイブル」「ビジュアル版ビートルズ全史」「ビートルズ奇跡のサウンド」「Music Life」などでビートルズの楽器関連を、「ユーキャン栄光のグループ・サウンズ大全集」ではGSのギターカタログを担当。60年代の内外のギター研究をライフワークとしている。