笑福亭鶴瓶 月亭方正の人生の転機に共感
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笑福亭鶴瓶が、7月27日放送『笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ』(ニッポン放送・毎週日曜16時~)に出演。月亭方正がゲストとして登場し、鶴瓶としても初めて聞くという、落語家に転身したきっかけを詳しく語った。

笑福亭鶴瓶、月亭方正
20歳の頃に“お笑い芸人・山崎邦正”としてデビューして以来、テレビ業界で活躍し人気を得ていた方正。活動の中でいわゆる“テレビ芸”は積み重なっていく一方、営業先で"自分に何も芸が無い"と気付いたことが、落語家転身のひとつの転機とだという。
営業先で、芸人仲間が漫才で笑いをとっていくなか、フリートークで壇上に上がっていたという方正。最初こそ歓声をもらうものの、そこから披露できるものが無く、盛り上がりが尻すぼみになる状況に直面した、と過去を振り返った。
テレビで定着していた“追い詰められるキャラ”は美味しいと思い乗っかったのではなく、本当に焦ったり逃げ出したくなる性格だったという。さらに営業先で何もできないため、逆に“追い詰め”を欲している自分にも気付き「嫌なんですけどその場はなんとかなる、というような。それがすっごく落ち込んだんです。“芸が無い”」と明かした。
「このままいじられ芸だけでも、テレビの世界では食べていけるとは思うが、それで良いのか?」と自問自答したという方正。
当初憧れていた芸人像と実際の自分とのギャップに葛藤するなか「これはいかん!」と思い立ったのが40歳・“不惑”の歳だったという。
最初に目指したのは吉本新喜劇の座長。過去の公演映像を全て見て勉強しこの道を進もうと奮い立ったものの、自分1人きりでは稽古もできないと気付き挫折。
やはりピンネタを作って一から……と悩んでいるときによく会っていたのは、東野幸治だったという。その東野に悩みを相談すると「落語聴いたら?」と一言。当時の方正は落語に全く興味が無く、むしろテレビ業界で染み付いた“古いものをぶっつぶせ”という考え方から避けていたものだった。
しかし薦められた手前無視はできず、レンタル店で『桂枝雀大全』を借りてみた方正。最初はよくわからなかったが『高津の富』という演目のまくらで興味を惹かれ、それから何かが開けたように落語を面白いと感じるようになり、それからは毎日毎日落語漬けの日々を送ったという。
DVDを見て落語を吸収すると今度は見よう見まねで一席練習し始めると、「ひとりでやる新喜劇や」と気付き、これが方正の人生を一変させることとなった。「もう久しぶりにガッツポーズしました、嬉しくて。人生でやるべきことをやっと見つかった!」

笑福亭鶴瓶、月亭方正、上柳昌彦アナウンサー
鶴瓶も弟子入りしてから長らく本格的な落語をしてこなかった時代があり、当時は"爆笑をとれるもの"を見つけられずに悩んでいたと明かす。そんな中で『青木先生』をはじめとした、鶴瓶自身の実話から生まれた“私落語”という独自の形態を発見して変わったという。
「(見つけたときに)嫁はん起こして聴いてもうたんよ。“これや!”思ってちょっと起きてくれと。嫁はんもよう笑いよんねん、また」と、当時の喜びを振り返った。
その時に体験した喜びと、方正の話を重ねて「ほんまに嬉しかったやろうなぁ」と共感。その声には心からの祝福が滲んでいた。
そのほか、番組では本格的に落語家への道を歩むまでの長い道のり、師匠・月亭八方との出会いなどが語られた。そんな方正も今では落語家になって17年。8月22日、9月12日には『月亭方正落語会 月一方正噺〜全十回〜』を新宿末廣亭にて開催する。
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