12月28日はピエール・バルーの一周忌となる
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映画『男と女』テーマ曲の作詞,ヨーロッパ・インディーズの草分け「サラヴァ」レーベルのオーナーとして広く知られるピエール・バルー。彼の人となり、そして人生の航路を見ると、既成のメディア業界が狭苦しいことがわかる。それを超越していたバルーのセンスに学べば、まだまだ未来には新しい文化の路があることが見えてくる。本日12月28日はピエール・バルーの一周忌となる。
父母共にユダヤ人でイスタンブールからフランスに渡った移民であるバルー。同じくユダヤ人だがロシア系を親に持つセルジュ・ゲンスブールとの対比がしたくなる。ゴリゴリの芸能界が活躍の場で、都会に貼り付いていたゲンズブールと比べると、芸能シーンになじまず、流浪の旅を好むバルーは対極をなすことがわかる。ゲンズブールのデビューした1958年ころのバルーは、アメリカで勃興していたビートニクよろしく家出して旅に出た。イスラエルに始まり、59年にはポルトガルでブラジル音楽と出会う。ジョアン・ジルベルトの「想いあふれて」に衝撃を受け、『男と女』の柱にもなったブラジル音楽は一生に渡り、彼の音楽の基調となる。
パリに戻り、カフェで歌っていたバルーは1962年にはシンガー・ソング・ライターとしてデビューする。その頃に出会った鬼才フランシス・レイとの出会いが決定的なものとなった。夜な夜な落ち合い、酒を飲んでから、朝まで曲作りに励んだという。レイの作曲能力に感服し、バルーは作詞に徹した。そんな作業の中で生まれたのが、クロード・ルルーシュ監督作品『男と女』(66年)テーマ曲だった。ボサノヴァだった。
一方で役者としても銀幕デビューする。先日亡くなったフランス最大のロック・スター、ジョニー・アリディ主演『ジョニーはどこに?』で相手役を務め、自由な即興的演技で成功を収める。しかし、衝動の赴く即興的なスタイルのみを好んだので、商業映画の枠での成功は難しかった。
直感に基づいて生きる。バルーは生粋のヴァガボンド(放浪者)なのである。その映画の撮影中も、部屋があるのにホテルが嫌いで、人の家に泊まってしまう。生涯そんな旅を実践した。普通の有名人ではありえない。音楽においては、そんな異端の性格が生かされていった。
『男と女』で経済的根拠を作りだしたバルーは、その旅的好奇心を生かしたレーベル「サラヴァ」を創造する。数々の名盤が生まれたが、筆頭はブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」(1969年)だろう。動乱の学生運動時代、アバンギャルド感覚の先導者となったこのアルバムは、ジャンルを超えたメロディー、ジャズとロックを超えたリズム、彼女の伴侶的存在アレスキーとアート・アンサンブル・オブ・シカゴの圧倒的なコラボレーション。永遠の前衛アルバム。それらを組ませたのはバルーのアイデアだった。
漂流者のみが獲得する真のアグレッシヴ。真性のキ印ともいえるブリジットには様々な奇行があった。一番凄いのは、ステージに出たものの、その後、歌わずスッポかして帰ったという逸話。そんな人だから制作には様々な困難があっただろうが、ニコニコとバルーは面倒を見ていたという。一切他アーティストを認めない孤高のブリジットが唯一認めていたのがゲンズブールというのも面白い。「『フランスに才能のある音楽家はゲンズブールと私だけ』と良く彼女はそう言ってたよ」とバルーは語る。サエキがバルーと会った際には自分のゲンズブールとの縁のなさを語っていたバルーだが、そんなブリジットを許容したところが懐の深さだ。
ゲンズブールがヒット性の高い楽曲を生涯生み続けたなら、バルーはブラジルのナナ・ヴァスコンセロス、アフリカのピエール・アケンダンゲ、カナダのルイス・フューレイなど、サラヴァで優れた世界の音楽、前衛音楽をリリースし続けた。そのために、最重要のインディーズ・レーベルと言われる。まだまだこれからサラヴァのディスコグラフィーから宝石が再発掘されていくだろう。
しかし当然のようにレーベル運営は行き詰まった。彼は破滅しかかった。そんな80年代初頭、彼は日本でYMO,清水靖晃、ムーンライダースと出会い、60年代にバルーを始めとするフランス文化に薫陶を受けた立川直樹プロデュースにより、忘れられない名作『花粉(ル・ポレン)』(82年)を物にし、起死回生となった。芝の郵便貯金ホールのコンサートでは通訳として生涯の伴侶、アツコ・バルー夫人と出会うことになる。そこからバルーの流浪は、日本を起点とするようになった。娘のマイア・バルーも設けながら。
生涯、放浪者として人生の引力を生かしダイナミックで創造的な音楽を育んだ。バルーの歩んだ道の断面に、ボサノヴァが、ジャズが、シャンソンが、ワールド音楽の軌跡として描かれた。
彼の音楽で僕が愛するのは『男と女』でも使われ、亡くなるまで歌い続けた「祝福のサンバ」。作詞ヴィニシウス、作曲はバーデン・パウエルの名曲に、作者に頼まれバルーがフランス語歌詞をつけた。
「金儲けのために歌を利用する人もいる 私は歌が好きだ だから世界を駆け巡り 深い歌を探し当てるんだ」
まさに、ピエールの人生そのものではないか?
バルーに興味を持った人は、恐らく世界で最高の評伝「ピエール・バルーとサラヴァの時代」(松山晋也著・青土社)をオススメする。
【著者】サエキけんぞう(さえき・けんぞう):大学在学中に『ハルメンズの近代体操』(1980年)でミュージシャンとしてデビュー。1983年「パール兄弟」を結成し、『未来はパール』で再デビュー。『未来はパール』など約10枚のアルバムを発表。1990年代は作詞家、プロデューサーとして活動の場を広げる。2003年にフランスで「スシ頭の男」でCDデビューし、仏ツアーを開催。2009年、フレンチ・ユニット「サエキけんぞう&クラブ・ジュテーム」を結成しオリジナルアルバム『パリを撃て!』を発表。2010年、デビューバンドであるハルメンズの30周年を記念して、オリジナルアルバム2枚のリマスター復刻に加え、幻の3枚目をイメージした『21世紀さんsingsハルメンズ』(サエキけんぞう&Boogie the マッハモータース)、ボーカロイドにハルメンズを歌わせる『初音ミクsingsハルメンズ』ほか計5作品を同時発表。また、2017年10月、中村俊夫との共著『エッジィな男ムッシュかまやつ』(リットーミュージック)を上梓。2018年3月7日(水)近田春夫をゲストに迎え、渋谷クアトロでパール兄弟ライブを行う。