浅草最後の芸人・ビートたけし大いに歌う

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【大人のMusic Calendar】

今や“世界のキタノ”としてその名を轟かせるビートたけしこと北野武は、日本を代表するコメディアン。映画監督や一部のテレビ番組出演時など、アカデミックな場では北野武、そして芸人としてはビートたけしと名前を使い分けて活動している。ここでとり上げるのはもちろんビートたけしとしての側面、それも決して本業ではないものの、そのキャリアも相当長い歌手活動の歴史を辿ってみたい。ツービート時代に初めてレコードを出したのはもう40年近くも前のこと。以来多くのレコードを吹き込んできた。1947年生まれのビートたけしは昨年古希を迎えたばかり。本日1月18日の誕生日を迎えて71歳となる。

ビートたけしの歌で最もよく知られているのは、「浅草キッド」だろう。榎本健一や萩本欽一が紡いできた浅草育ちの笑芸人の歴史を受け継ぐたけしは、自身を“最後の浅草芸人”と語るだけあって、浅草への愛は深い。若き日にストリップ劇場のフランス座で修業を積んでいた苦労時代が描かれた自作の歌である。つい先ごろも、ピースの又吉直樹が芥川賞を受賞した「火花」が映画化された際に主題歌として使用され、主演の菅田将暉と桐谷健太によって歌われたばかり。ペーソス溢れる哀愁のバラードはたしかにビートたけしの持ち味が活かされた名曲であるが、歌手・ビートたけしのレパートリーはそんな二の線の曲ばかりではない。殊に初期はおかしな曲ばかりだった。ヴァラエティに富んだラインナップをみてみよう。

浅草最後の芸人・ビートたけし大いに歌う

80年代に入って訪れた漫才ブームの中核を担ったツービートに、レコードデビューの話がもたらされる。これこそ人気者の証し。しかし初のシングル盤「~不滅の~ペインティング・ブルース」はB面の「みんなの童謡」と共に歌ではなく喋り、完全にネタのレコードだった。実家が塗装業だったことから、“ウチの親父はペンキ屋だぞ。しまいにゃお前んち塗っちゃうぞ!”と毒づいている。バックの演奏陣は、羽田健太郎のキーボード、芳野藤丸のギター、コーラスに伊集加代子ほかのしっかりとしたメンバーに支えられていたのだが、これを当時買った人はよほどの物好きとしか思えない。80年にはもう一枚、「ホールズ・ポールズ」というシングルも出しており、こちらは台詞が多いながらも歌も歌っている。『ボールズ・ボールズ』という洋画のキャンペーンソングで、作詞はいしかわじゅん、作曲・編曲は井上忠夫。井上大輔に改名する直前の仕事であったとおぼしい。

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完全な企画盤だった2枚に続き、81年に入ってから出された「俺は絶対テクニシャン」が、ビートたけしの正式な歌手デビュー曲といえるだろう。ツービート名義のレコードながら、A面がたけし、B面がきよしの「茅場町の女」と歌い分けられており、たけしの歌はテクノ歌謡として近年では一部で再注目されることとなった。作詞・来生えつこ、作曲・遠藤賢司という不思議なコンビネーションの作品はこれ以外にはないのでは? 演奏はダディ竹千代率いる東京おとぼけCatsとのクレジットがある。プロ歌手でないからこそ、周りを固めるという姿勢は次のシングルにも顕著で、ザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦作曲による「いたいけな夏」で湘南サウンドに挑戦。伊藤銀次のアレンジに人気番組となっていた『オレたちひょうきん族』との連携が色濃い。実際に番組内の「ひょうきんベストテン」のコーナーでも披露されていたのが思い出される。ビートきよし「雨の権之助坂」と同時発売された。82年は畑中葉子との企画モノ「丸の内ストーリー」をはじめ、「BIGな気分で唄わせろ」「OK!マリアンヌ」と歌手としても脂が乗り、初のアルバム『おれに歌わせろ』も発表。コーセー化粧品秋のイメージ・ソングだった「OK!マリアンヌ」は3万枚のスマッシュヒットを記録している。

浅草最後の芸人・ビートたけし大いに歌う
浅草最後の芸人・ビートたけし大いに歌う
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83年はアルバム『これでもか!』に始まり、シングルは「TAKESHIの、たかをくくろうか」。谷川俊太郎・作詞、坂本龍一・作曲による名歌は、オールナイトニッポンのエンディングテーマにも使われた。タケちゃんマン名義で出された明石家さんまとの「アミダばばあの唄」も83年、翌年の「ビックリ箱のうた」はいずれも『オレたちひょうきん族』から生まれた歌で、それぞれ桑田佳祐、松山千春の作。なんとも贅沢なノヴェルティソングである。84年はもう一枚、「BIGな気分で唄わせろ」に続いて大沢誉志幸が曲提供した「抱いた腰がチャッチャッチャッ」もリリース。たけし軍団をバックに歌われた軽快な曲で、ファンの間でも傑作として名高い。カップリングの「私立ノストラダムス学院校歌」はドラマ『ビートたけしの学問のススメ』挿入歌として小林亜星が作曲していた。

85年のシングルは主演映画の主題歌「哀しい気分でジョーク」のみであったが、86年はまたリリースラッシュで、二の線の「ポツンと一人きり」、松方弘樹との「I'll be back again...いつかは」、軍団との「I FEEL LUCKY」「ロンリーボーイ・ロンリーガール」のシングル4枚に加え、アルバム『浅草キッド』も。TAKESHI&HIROKI名義で出された「I'll be back again...いつかは」は番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の人気とも相俟って、チャート8位のヒットを記録している。アナログからデジタルの時代へと移行してからも、所ジョージと組んだT’s名義での「真っ暗な夜に」や、玉置浩二が作曲した「嘲笑」など注目すべき作品が見られるものの、2000年代に入ると残念ながらリリースが途絶えてしまった。いかにも昭和の芸人らしい、なんともいえない味のあるたけし節をまた聴かせてもらいたいものだ。kikuji名義で宮沢りえへ作詞提供していることはあまり知られていないだろう。

浅草最後の芸人・ビートたけし大いに歌う

「浅草キッド」「不滅のペインティング・ブルース」「俺は絶対テクニシャン」「OK!マリアンヌ」ジャケット撮影協力:鈴木啓之

【著者】鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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