【大人のMusic Calendar】
ザ・ジャガーズは64年に結成された5人組(後に岡本信が加入して6人になる)のエレキ・グループ、宮ユキオとザ・プレイ・ファイブが67年6月1日にシングル盤「君に会いたい」でデビューするに当って改名した名前で、ビート・グループとしてはザ・スパイダースやブルー・コメッツと並ぶ老舗グループであった。しかしメンバーでオリジナル曲を作れるのはリーダーの宮ユキオだけで、それもシングルのA面曲を作るほどの技量は無かったため、デビュー曲からオリジナル曲を探す必要があった。「君に会いたい」は当時新興楽譜出版(現シンコーミュージック)のニューヨーク特派員を務めていたジョー宮崎氏が友人のアマチュア・ソングライター清川正一が書いた曲の譜面(たったこの1曲だけ!)を当時の草野昌一専務(漣健児)に送ってきたものを、良いオリジナルがないプレイ・ファイブのメンバー達に「これをやってみたら」と渡したものであった。都内の練習スタジオで何日も練習してバンドメンバーで何とかサウンドをまとめ、その後築地ビクターのスタジオでレコーディングを行った直後、私は初めてNYを訪れる機会があった。マンハッタンのジョー氏のオフィスを訪問した時、偶然(!?)なんと「君に会いたい」を作詞作曲した張本人の清川氏が現れて紹介して貰ったのだが、普通の中年のビジネスマンと云う印象であった。
1ヵ月程の初外遊から戻ってから一応メンバーで完成した「君に会いたい」のトラックに、シンコーの制作スタッフと相談して混声のコーラスを加えてサウンドに厚みを出し、更にもう1つインパクトを持たせようとカウンター・メロに口笛をダビングしてやっとヒットの確信が湧いてきた。そしてザ・カーナビーツ「好きさ好きさ好きさ」との同時デビューの話題と共に大ヒットになった。此の頃から芸能週刊誌がこれらビート・グループをグループサウンズと称するようになる。さてデビュー盤はヒットしたものの問題は2作目の作家であった。
ザ・スパイダースにはかまやつひろしが居り、ザ・サベージは新進のソングライター佐々木勉がデビューから関わっている。ザ・リンド&リンダースはリーダーの加藤ヒロシが頑張っている。さてザ・ジャガーズは…。ここで新進フリー作曲家として黛ジュンのデビュー曲「恋のハレルヤ」がこの年大ヒットし、G.S.ではザ・ゴールデン・カップスのデビュー曲「いとしのジザベル」を書いたばかりの鈴木邦彦に白羽の矢が当たることになる。
私の大学の同じ経済学部の2年先輩の鈴木氏は元々草野さん(漣健児)が作曲家に推薦してジョニー・ティロットソンの為に「ユー・アンド・ミー」を書いたのが作曲家デビュー(この時はペンネームを使っている)であった。そのときからの縁でその漣健児“作詞”と鈴木邦彦の初コンビで出来た注目の曲がジャガーズのシングル第2弾となる「ダンシング・ロンリー・ナイト」であった。
漣健児は名訳詞家として数々の大ヒットを生んだが作詞家としては実はこの曲の他には名前を聞いたことがない。そこでよくよく調べて見るとどうやらこの曲の作詞は漣氏本人ではなく当時のシンコーの制作スタッフのA氏が漣健児の名前を使って書いた詞であることが判明した。そういえばA氏はその後“大津茂樹”のペンネームでジャガーズのアルバムの詞を書いていた。それにしても見事に漣健児の作風の特長を捉えた詞に仕上がっている。
この曲はいきなりリード・ギター沖津ひさゆきのギンギンのファズ・トーンのリフが炸裂するイントロで始まる、ロック調のノリの良いナンバーである。このイントロでこの曲は売れるぞ! と思ったものだ。そして25万枚のヒットとなった。この曲とサウンドは後の平成の時代になると海外のガレージ・ロック・マニアたちの人気を得ることとなる。鈴木邦彦氏は何故かフィリップスG.S.とはあまり縁がなくザ・ジャガーズはこの1作のみで、この後はこの年作曲家デビューの筒美京平が続けて担当するようになったし、あとはスパイダースの後期69年に「涙の日曜日/赤いリンゴ」のシングル・カプリング2曲を提供しただけであった。
本作B面にはデビュー盤同様リーダーの宮ユキオのオリジナル曲がカプリングされている。その「若いあした」の作詞は2年前に世界で初めてザ・ビートルズと単独会見した当時の若きミュージック・ライフ編集長の星加ルミ子さんが担当しているのも面白い縁である。
ザ・ジャガーズ「君に会いたい」「ダンシング・ロンリー・ナイト」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
【著者】本城和治(ほんじょう・まさはる):元フィリップス・レコードプロデューサー。GS最盛期にスパイダース、テンプターズをディレクターとしてレコード制作する一方、フランス・ギャルやウォーカー・ブラザースなどフィリップス/マーキュリーの60'sポップスを日本に根付かせた人物でもある。さらに66年の「バラが咲いた」を始め「また逢う日まで」「メリージェーン」「別れのサンバ」などのヒット曲を立て続けに送り込んだ。