オリラジ中田敦彦がTシャツを1万円で売る理由

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毎週水曜日午後6時から放送のニッポン放送「オリエンタルラジオ 中田敦彦のオールナイトニッポンPremium」。2時間半にわたる“本音”トークの中から、allnightnippon.com編集部が厳選した内容を、中田敦彦の“熱い語り”そのままに、毎週お届けする。なお10月31日の放送は、ニッポン放送ではプロ野球日本シリーズ中継のためオンエアされず、午後7時から8時50分までネット局のみでの放送となった。

「オリエンタルラジオ 中田敦彦のオールナイトニッポンPremium」今週の“中田論” 第5回その1(10月31日放送分)

オリラジ中田敦彦がTシャツを1万円で売る理由

――今回の放送では、リスナーから“油ギトギトの長文メール”を募集した中田敦彦が寄せられたメールに答えた。

「あらためて問わせてください。幸福洗脳(中田がプロデュースするファッションブランド)Tシャツが1万円。長袖はもっと高くなりますがこんなに高くすることはバズらせるという1点において本当に必要なんですか? もっと手軽に手に入れられるようにしたほうがパンデミックを起こしやすくなるんじゃないかと素人意見で思うのですが…。」

まずね、1万円がどうなのって話なんですけど僕は全然後悔してないですね。1万円高くないですか? バズりにくいんじゃないですか? ってことなんだけども、俺からすると1万円っていう値段はバズらせる以上に試してみたかったことなんですよね。モノの価値っていうんですか。モノの値段で安いものをたくさん売るっていうモノもあれば、高いモノをちょっと売るっていうこともあるじゃないですか。本当の本当で言うと1万円のモノってすごい高いものではないじゃん。10万円とか20万円のバッグとかも売ってるし、アパレル界だと1万円のTシャツって普通なんだよね。

原宿のそこら辺の店に入ると1万円のTシャツ売ってるよ。7000円とか8000円とかも売ってるわけじゃないですか。かたや2000円とか1500円でも売ってるわけですよね。俺は安くていいものを届けたいっていうことではなくて、「高いけど買う」っていうモノがあるわけですよね。高いけど買うっていうモノって一体なんですかっていう研究だったんですよ。

それは原価ではない。最近バンクシーっていう画家の人が絵画を高額なオーディションでやって高値が付いた瞬間にシュレッダー処理されてしまうような仕組みを絵画に仕込んでいた。それをコントロールしてパフォーマンスとして見せたっていうのがあって。いったらさ海外っていうのはまさにそうで。絵っていうのはただの紙と絵の具なわけじゃないですか。紙じゃなくてもキャンバスとか。

言ったら素材の値段ではないものですよね。アートっていうのは素材の値段ではなくて、そこに込められたストーリーとか、そのアーティストがどういう風に生きてる人かっていうのが影響してくる。それにお金を払うってことなんですよ。

多分僕は「服売るぞ」ってなって安い値段で売ったら努力しないと思うんです。だってさ、「これ500円のTシャツなんだぜ、お前ら文句言わずに買えよ」って。これ以上、工夫しなかたっと思います。だけど1万円って言っちゃってんの。明らかにクオリティが追いついてないわけ。だけどみんながさ買ってくれるようになったら、俺はどんどんクオリティを上げていこうとするわけなんですよ。

価格が高いモノに起きる現象って面白いなって思うのは、実は安い商品を買ったお客さんの方がクレームが多いんですよ。高い商品を買ったお客さんからのクレームって少ないんですね。昔ねネット通販を自分で始めたばっかりの頃、ファン向けにすごく安い商品を作ったの。それをすごく簡易な包装で雑にお届けした時があったんですよ。その時、ムチャクチャ怒られたの。

「なんですか、この雑なやり方は」って。でも俺からするとさ、いやいやいや、だってこれ激安の商品だからこれぐらいじゃんって。でも「私はお客様ですよ」ってなるわけですよと。そうなった時にアレって思うわけ。安い商品だからって作り手がまず舐めちゃうんだよね。わかんない、安いものをちゃんと良く届ける人もいるけど、俺の場合はさ、安いんだから我慢しろよっていう意見があったわけ。だけどお客さんからすると「安くても商品だろ? 手を抜くなよ」ってなるわけです。だけど高いものを買った時に人はどうなるのかって言うと、高い金を出したんだからこれに価値を見出そうとするわけですよ。

映画を自腹で観に行った時って酷評しづらくないですか。高い金を払ったレストランで店員にブチギレることってあんまりなくないですか。例えば、コンビニとかのレジの方がお客さんが怒っていること多くないですか? 高級ブティックでブチ切れているお客さんはいない。

なんかそこに価格っていうモノに対するリスペクトが届ける側にも受け取る側にもあるのかなと思ったの。俺はそれを追求したかったんですよ。お笑い芸人って安い商品なんですよ、本当は。言ったらアーティストとか俳優っていうのが芸能界にいるわけですよ。アーティストなんて価値を高めて高めてハイファッションにしていくものなんですよ。普段の生活で誰々さんがコンビニに行っている姿なんて想像できませんねとか。「普段の誰々さんはミステリアスですがどういう生活をしてるんですか? 現実味がないです」とかね。X JAPANのYOSHIKIさんとかね。そういう人とかもさ現実味がないというところにドンドン行くわけで、そうやってアーティスト性やカリスマ性を高めるわけじゃん。

かたやお笑い芸人って本当に庶民的な商品で。すべてをさらけ出してさ、「最近こんなことがありまして惨めな思いをしたんですよ」って言いながらみなさんに楽しんでいただくような真逆の商品。だけど俺は歌をやる時に、「アーティストと芸人って人として違うか? 一緒じゃねえ?」って思ったわけ。“アーティスト”って言うか、“芸人”って言うかでしかないと思ったわけ。俺は音楽を作れるのか、俺はアーティストになれるのかっていうことをやりたかったわけ。

それと同時に俺はTシャツをアーティストとして――「お前はアーティストじゃねえよ。芸人が歌ネタをやってるだけだろ」っていう意見もアリだと思うけど、俺はアーティストなんだぞって自分で言ってもいいじゃんってことをやったわけですよ。そのうえでTシャツを(グッズとして)物販してたのね。

それでさ、物販で売ってるTシャツとアパレルで売ってるファッションってどう違うんだよって。同じコットンから出来てんだぞって。高く売るってなんですか、リスペクトってなんですか、アートってなんですかを追及する現象だから1万円にしたんだよね。これを見届けて欲しいんだよな。

人って最初からアーティストか。渡辺直美って今や世界のファッションアイコンみたいになってるけど、お笑い芸人だった。なんかそういうことってあるじゃん。泉ピン子さんって元々芸人だったとかね。竹中直人さんって元々お笑いだったとかさ。俺はそこに興味があるんだよね。人間って何にでもなれるぜってことを1万円のTシャツから訴えたかったんだよね。

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