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ユーミンの「14番目の月」や子門真人の「およげ!たいやきくん」が大ヒットしていた1976年11月、数々の日本人アーティストのアルバムを抑えて1日、8日、15日と3週連続でオリコンチャート1位をキープし続けたのが『青春に捧げるメロディー』。ベイ・シティ・ローラーズの通算4枚目のアルバムだ。ちなみに海外のアーティストが連続して、しかも3週間にもわたってトップの座についたのはオリコン史上、非常に珍しいことで、2018年現在に至るまで数えるほどしかない。
ベイ・シティ・ローラーズ=通称BCRが日本に初めて来日したのは1976年12月。その直前にリリースされたこのアルバムの原題は『Dedication』だが、当時の日本のレコード会社担当者によって『青春に捧げるメロディー』という邦題がつけられた。このタイトルはいまになってみると文句もつけようがないほど素晴らしく思える。当時、彼らのレコードを擦り切れるほど聴いて、コンサート会場でメンバーの一挙手一投足に歓声を張り上げたファンにとって、まさにこのアルバムの1曲1曲は「自分の青春を思い出させてくれる特別なメロディーたち」に違いない。
アルバムに収められた14曲のなかにはシングル・ヒットした「二人だけのデート」「ロックン・ロール・ラブレター」の他、「レッツ・プリテンド」(ラズベリーズのカバー)やビーチボーイズの「ドント・ウォリー・ベイビー」といった名曲も含まれている。特に「二人だけのデート」はBCRを代表する曲と言っても過言でない曲で、シングルは世界中で大ヒットした。実は私は長年「二人だけのデート」はBCRのオリジナル曲だと思っていたのだが、1963年にダスティ・スプリングフィールドのデビュー曲として発表されたのが最初だったようだ。ただ、事実はそうだとしても「二人だけのデート」はレスリー・マッコーエンの甘い歌声を含めてBCRの明るくエネルギッシュな演奏があってこそあれだけヒットしたのだと思う。
このアルバムのタイトル曲「青春に捧げるメロディー」もある意味でファンにとっては特別な曲だ。日本のアルバムにはこの曲が2つのバージョンで収められているが、そのうちのひとつはイアン・ミッチェルが歌うバージョンなのだ。
イアンはBCRのオリジナル・メンバー、アラン・ロングミュアーの脱退に伴ってメンバーになったBCR史上最高の美少年。アランの脱退の真相ははっきりわからないが、青春をイメージさせるアイドル・バンドである彼らにとって30歳近くなったアランは相応しくなかったという説が有力なようだ。
いずれにしても1976年初頭、ベーシストのアランに代わってイアンが加入し、サイドギターとヴォーカルを担当するようになった。その為、それまではサイドギターを担当していたスチュアート“ウッディ”ウッドがベースを担当することになり、その直後に録音されたのがこの「青春に捧げるメロディー」だ。
レスリーの甘い歌声と比較するとイアンの声はもう少し硬質な感じがする。そして「青春に捧げるメロディー」にはイアンの歌声の方がマッチしているという意見が多いようだ。ルックスといい才能といい、新加入したイアンは瞬く間に女の子たちの心を捉えて、日本のファンたちは来日を心待ちにしていたのだが、驚くことに来日直前、イアンはBCRを脱退してしまう。彼がBCRのメンバーだった期間はわずか半年。当然その間にレコーディングされたアルバムはなく、残っているのはこのシングルだけなのだ。ちなみにイアンはその後、以前一緒にやっていたメンバーとバンドを再結成し、ロゼッタストーンというバンド名でデビューしたが、こちらは成功したとはいい難い。
ベイ・シティ・ローラーズ「二人だけのデート」「ロックン・ロール・ラブレター」「青春に捧げるメロディー」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
【著者】榎本幸子(えのもと・さちこ):音楽雑誌「ミュージック・ライフ」「ロック・ショウ」などの編集記者を経てフリーエディター&ライターになる。編著として氷室京介ファンジン「KING SWING」、小室哲哉ビジュアルブック「Vis-Age」等、多数。