【大人のMusic Calendar】
明けましておめでとうございます。2019年もどうぞ「大人のMusic Calendar」をよろしくお願いいたします。
お正月といえば、勉強部屋に寝そべってお餅を食べながら、「のどかなお正月だなぁ。ことしはいいことがありそうだ」とつぶやくメガネの少年の姿に心当たりがある方も多いのではないだろうか。そう。『ドラえもん』の「てんとう虫コミックス」第1巻第1話「未来の国から はるばると」における、のび太の最初のセリフである。この後、机の引き出しから突然現れたドラえもんにお餅を食べられてしまい、さらに子孫であるセワシくんがやってきて……と、現在も様々なメディアで展開の続く『ドラえもん』の長大な物語は、お正月の風景から始まったのである。
「大人のMusic Calendar」世代にとって、ドラえもんと音楽との関係というと、1979年から放送されたテレビアニメシリーズ、いわゆる「大山のぶ代のドラえもん」の時代に音楽を担当した、作曲家:菊池俊輔の手による楽曲群がまず思い浮かぶのではないだろうか。誰もが知っている主題歌「ドラえもんのうた」「ぼくドラえもん」を始め、「青い空はポケットさ」「ドラえもん音頭」「まる顔のうた」「ぼくたち地球人」等、放送初期のドラえもんソングはもちろん、劇中で流れるBGM音楽も菊池俊輔の作編曲によるものだ。
作曲家:菊池俊輔は、1931年青森県弘前市生まれ。映画好きが高じて日本大学藝術学部に進学し、卒業後も映画監督:木下恵介の弟、木下忠司に師事。1961年に梅宮辰夫主演の東映映画『八人目の敵』の劇伴音楽でデビューしている。その後『昭和残侠伝』シリーズ、『兄弟仁義』シリーズ等の任侠映画、『女囚さそり』シリーズ等のピンキーバイオレンス路線、『女必殺拳』『けんか空手』シリーズ等の空手映画、『ガメラ対大悪獣ギロン』(1969)以降の昭和ガメラシリーズなどの映画音楽を手掛けている。またテレビにおいても、1963年の『野菊の墓』を皮切りに、『キイハンター』(1968~1973)、『Gメン'75』(1975~1982)、大映テレビ制作の『赤いシリーズ』(担当1975~1980)、時代劇『暴れん坊将軍』シリーズ(1978~2008)、昭和の『仮面ライダー』シリーズ(1971~1984)、アニメ『タイガーマスク』(1969)、『バビル2世』(1973)、『ドカベン』(1976)、『ドラゴンボール~Z』シリーズ(1986~1996)など、これでもか! というほどの作品量の多さとジャンルの多様さを誇っている。加えて、上記の作品例でもお分かりのとおり、手掛けた作品の多くが長期シリーズ化、長寿番組化するという不思議なジンクスを持つことから、各世代への浸透度も抜群に高いという、まさしく日本のテレビ音楽界を代表する作曲家といっても差し支えない存在だ。そうした圧倒的な作風の広さを持ちながらも、一聴するだけですぐに菊池の作とわかる独特な和風の響きや懐かしさを感じさせるリズムを持つのも特徴で、これらは「菊池節」と呼ばれて広く親しまれている。菊池が音楽を担当した時期のアニメ『ドラえもん』も、その「長寿番組ジンクス」のご多分に漏れず、1979年から2005年の26年間にわたって放送されており、これは日本のテレビアニメ作品としては、今年50周年を迎える『サザエさん』(1969~継続中)に続く第2位の記録である。
そして、先に挙げた「ドラえもんのうた」等の歌曲はもちろんのこと、菊池が手掛けた劇中のBGM音楽を特に印象深く記憶している人も多いのではないだろうか。のび太が何気なく自分の部屋でゴロゴロしている時の音楽、スネ夫に何かを自慢されている時の音楽、ジャイアンに追いかけられている時の音楽、ドラえもんが四次元ポケットからひみつ道具を取り出す時のファンファーレ……などなど。
通常、テレビのドラマやアニメの劇伴音楽とは、一話ごとに新たな音楽を作曲し続けることが予算的、スケジュール的に難しいため、作品内で描かれるであろう様々なシーンをあらかじめ想定して作曲しておく「録り溜め方式」で作られることが常である。状況系では、サスペンス、ミステリー、戦闘、アクション、暗躍、コミカル、回想、登場やキメなど、情感系では元気、平和、安堵、不安、悲しみ、驚き、憎しみ、怒り、ズッコケなどがいわゆる劇伴音楽の典型とされており、これらの中から作品に必要と思われる曲調を監督や音響監督がメニュー化し、作曲家に発注する形が一般的だ。
しかし、これらのどれにも当てはまらない音楽も時には必要になることがある。特に『ドラえもん』のような、どこにでもある街の日常を舞台とした作品では、そのなんでもない空気感を描写した「なんでもない音楽」(日常系、生活系、ニュートラルなどとも呼ばれる)の存在こそが実は重要であり、使用頻度も高いのだ。そして、アニメ『ドラえもん』で特に印象に残っている菊池劇伴を思い返してみると、このタイプの曲がとても多いことにあらためて気づかされる。
先に挙げたような状況系・情感系の劇伴音楽には、長いサウンドトラック音楽の歴史の中で培われてきた、それなりの「常套手段」や「王道」があるのだが、日常系音楽にはそれがない。 ……ない、わけではないが典型的な曲調が形成されにくく、その作品ならではの「なんでもなさ」の世界をいわばゼロから構築する必要があるため、素の実力や引き出しの豊富さなど、作曲家自身の音楽スタイルや力量の本質を問われるという、とても難しい領域なのだ。犯罪サスペンスや特撮ヒーロー物、壮大なファンタジーなどでカッコいい劇伴を書くことのできる劇伴作家は多い。しかし『ドラえもん』における菊池の仕事のように、日常を描いた空気のような存在感の曲でありながら、それでいて耳に残り、印象に残り、記憶に残る音楽を作れる音楽家は、そうはいない。ジャンルを選ばない作風と、誰にも追いつけないほどの膨大な仕事量をこなしてきた、菊池俊輔なればこそ到達できた、一つの「境地」と言えるのではないだろうか。
昭和が遠ざかり、平成も幕を下ろそうとしている今。その二つの時代をまたいで存在したアニメ作品として『ドラえもん』を振り返るとき、そこに空気のように流れていた「なんでもない音楽」のあたたかさと存在の大きさに、あらためて気づかされる。我われの日常の積み重ねと一緒に歩んできた50数年におよぶ菊池俊輔の仕事。「映画音楽の作曲家」「サウンドトラック・メーカー」などというヨソイキの言葉ではなく、敬愛と親しみを込め、我々にとって最も身近な「劇伴作家」と、そして彼こそ、その王者と呼びたい。
【著者不破了三(ふわ・りょうぞう):音楽ライター、CD企画・構成、音楽家インタビュー 、エレベーター奏法継承指弾きベーシスト。CD『水木一郎 レア・グルーヴ・トラックス』(日本コロムビア)選曲原案およびインタビューを担当。