ニッポン放送アナウンサーの新行市佳が、注目選手や大会の取材などを通して、パラスポーツの魅力をあなたと一緒に発見するための連載企画「パラスポヒーロー列伝」。今回は、車いすバスケットボールの日本選手権取材レポートをお送りします。
先日、東京オリンピックのチケットの抽選が始まりましたね!
申し込みはされましたか?
その次はパラリンピックのチケット・・・今からワクワクしています。
先日5月10日~12日にかけて武蔵野の森スポーツプラザで行われた「天皇杯第47回日本車いすバスケットボール選手権大会(日本選手権)」を観戦してきました。
車椅子バスケはコートの広さやリングの高さ、出場人数、競技時間は健常者のバスケと一緒で、ダブルドリブルはなく、車椅子を3回こぐとトラベリングになります。
障害の程度によって1.0~4.5までの持ち点があり、コート上の5人の持ち点を足して14点以内にしなくてはいけないというルールがあり、障害の重い選手ほど持ち点が低く、軽い選手は持ち点が高くなります。(障害の程度が重い選手:ローポインター、軽い選手:ハイポインターと呼ぶこともあります。)
最近の国内で行われる大会では、持ち点が分かるように車椅子の後ろに表示の紙が貼られるようになりました。
サイコロの目のような表示がされていますが、一つ丸は一点台の選手、二つ丸は二点台の選手ということを意味しています。
ハイポインターのダイナミックな動き、ローポインターの「ハイポインターを活かす細かく巧みなプレー」も見どころです。バスケットボールに車椅子のスピード感、車椅子同士の接触もある迫力満点の試合が展開されます。
日本選手権は国内のクラブチームナンバーワンを決める大会で、元々男子選手で構成されたチームで出場する大会でしたが、女子選手の強化を目的として2017年の第45回大会から女子プレーヤーもチームに混ざって参加することができるようになりました。
また、去年7月から、車いすバスケットボールの普及・振興、共生社会への貢献を目的に、健常者選手もJWBF(日本車いすバスケットボール連盟)に正式登録できるようになり、健常者の選手がチームに入ることも可能に。今年の天皇杯は、障害のあるなしに関わらず一緒にチームメイトとして車椅子バスケの日本一を目指せるようになりました。(健常者プレーヤーの持ち点4.5)
決勝は、大会10連覇中の宮城MAXと2012年ぶりに決勝に進出した埼玉ライオンズが激突しました。
埼玉ライオンズは、チームスローガンである「Strength in Numbers」のもとに、健常者の選手が3人加わり、ディフェンスとトランジションバスケに磨きをかけてきました。
予選のNo Excuse戦では12得点をマークした大山伸明(おおやま・のぶあき)選手は、埼玉県立大学1年生の時に大学の車椅子バスケ部に入部。障害のあるなしに関わらず試合ができる車椅子バスケに魅せられ、体幹と高さを活かしたプレーと、積極的に点を取りに行くスタイルでチームに貢献しています。
チームメイトの永田裕幸(ながた・ひろゆき)選手は、大山選手をはじめとした健常者の選手が加わったことで、チームのモチベーションが上がり、切磋琢磨し合える環境になったといいます。
絶対的王者・宮城MAXと健常者プレーヤーを加えてチーム力を高めてきた埼玉ライオンズ・・・新時代の幕開けらしいカードになりました。
宮城MAXは日本屈指のスピードをもつガードの豊島英(とよしま・あきら)選手が怪我のため長時間出場できないという状況の中、ヘッドコーチも務める藤井新悟(ふじい・しんご)選手がコートに入り、ゲームメイクをしていきます。序盤から宮城の藤本怜央(ふじもと・れお)選手が3Pシュートを決めて流れに乗る一方、埼玉はシュートチャンスはあるものの厳しいディフェンスに苛まれ、なかなか得点シーンを演出できません。さらに宮城はパスワークで埼玉のディフェンスを崩し、藤本選手、女子日本代表のキャプテン・藤井郁美(ふじい・いくみ)選手、土子大輔(つちこ・だいすけ)選手を中心に確実に点を積み重ね、71対35で宮城MAXが11連覇を成し遂げました。
チームの大黒柱で日本代表エースの藤本怜央選手は、大会を通してどのチームも自分より格上だと思って考え続けたそうです。
「(決勝の埼玉ライオンズ戦では)点数を見るなと言いました。相手のプレスディフェンスに引っかかったら、点数はひっくり返されると思っていました。」
予選の伊丹スーパーフェニックス戦、準決勝のワールドBBC戦ではリードされるシーンもあったものの、その都度立て直して勝ち進みました。王者としてのプライドをもちながらも冷静に相手チームを分析して戦術を練り、それを遂行することが勝利につながったと振り返ります。
今回の天皇杯で健常者プレーヤーがチームに加わって参戦することに関しては、「実際に埼玉ライオンズと対戦してみて、競技力のレベルも高く、チームワークの質も高かった。」としつつ、「障害者のスポーツは障害者が一番強くなければいけないと思っていて、障害を負ってからその苦難を乗り越えて、このスポーツに人生をかけてやってきた僕らの勝利。平成で勝ち続けてきたので、僕らがチャンピオンでこの日本のバスケ界を牽引していくというところは僕らがスタートでありたいと思っていたので、優勝できて嬉しいです。」とホッとしたような表情を浮かべていました。
また、藤本選手はドイツリーグでシーズンを過ごしてから帰国し、大会に臨んでみて「日本のバスケは速いし、スキルも高い。海外選手は当たりは強いけど、日本ほど精度は高くないのではないかと思います。」と話し、日本の車椅子バスケの成長を感じたことが純粋に嬉しかったといいます。
2020年に向け益々注目が集まっている車椅子バスケットボールですが、最終日は1万人を越えるお客さんが集まりました。
「まさにこの場所で約1年後、東京パラリンピックの車椅子バスケットボールが行われます。今日よりもさらに熱い試合と大きな感動を届けたいと思っていますし、皆さんの大きな声援のもと、日本代表男子も女子も金メダルをとる瞬間をみんなで感じて頂きたいと思っています。今後とも応援よろしくお願いします!」
藤本怜央選手は大歓声に包まれたセンターコートから客席に語りかけました。
【新行市佳のパラスポヒーロー列伝 第16回】