松本薫「出産して変わった柔道観」

By -  公開:  更新:

黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に、元女子柔道選手でロンドン五輪金メダリストの松本薫が出演。引退を決意した経緯について語った。

松本薫「出産して変わった柔道観」

【松本薫引退会見】フォトセッションに臨む松本薫=2019年2月7日 東京・広尾 写真提供:産経新聞社

黒木)今週のゲストは元女子柔道選手でロンドン五輪金メダリストの松本薫さんです。
現役を引退しようと思われたきっかけは何だったのですか?

松本)目指していた東京オリンピックへの出場が難しくなったことと、柔道よりも子どもがいちばんになってしまったということです。このまま柔道競技をしていても、何も残らないなと思い引退しました。

黒木)難しくなったというのは、そういうことですか。

松本)勝たなくてはいけない試合で負けてしまいました。11月に講道館杯という試合があるのですが、その試合で勝つと強化選手となります。私の場合はそこで優勝してグランドスラムに出るのが目標だったのですが、1回戦で負けてしまいました。

黒木)2020年に東京オリンピックがあるという大事な試合で、辛かったのではないですか?

松本)それが、負けた瞬間に「やっと終わった」と。

黒木)いろいろなものを背負っていらしたのですね。

松本)そうなのですかね。私にとって柔道はとても大事なものですが、目標・夢のためにオリンピックを目指してやっていたので、なぜか負けた瞬間に「もう終わっていいのだ」と思って、楽になりました。

黒木)不思議ですね。とは言え、ロンドンでは金メダルでしょう。リオでは銅メダルでしたけれども、2016年ですよね。その年に結婚なさって、翌年にお子さんをご出産なさいました。結婚して子どもを産んでも、現役で柔道を続けようとは思っていらしたのですか?

松本)リオ五輪の前にプロポーズがあったのですが、オリンピックが終わるまで待ってくださいと言って、オリンピックが終わって結婚しました。それで、子どもができたら柔道を続けようと思っていました。

黒木)えっ? 子どもができたら柔道を続けようと思ったのですか?

松本)東京オリンピックが2020年で、作るならいましかないと思ったのです。それでできたので、やるしかないと。

黒木)やり始めたのですけれども、大事な試合の1回戦で敗退してしまったということで。でも楽になった。

松本)子どもを産んでからの柔道が楽しかったのですね。柔道との距離感ができて。私はのめり込んでしまうと、ずっとそのことばかり考えてしまうのです。休みの日に「オン・オフ」の切り替えはやっていたのですけれども、試合は近付いて来る。試合は毎月あったので、1ヵ月前から“野獣スイッチ”を入れないといけないのです。それまでは常にスイッチが入っている状態でしたが、子どもを産んでからは野獣スイッチを切って、お母さんスイッチを入れないといけない。子どもを見ると嫌でもスイッチが入るのですよ。その柔道との距離感がちょうど良かったのですね。その期間の柔道人生は、私のなかで豊かで楽しかったのです。

松本薫「出産して変わった柔道観」
松本薫/元柔道選手・2012ロンドン五輪金メダリスト

■5人兄弟の4番目(三女)として金沢市に育つ。
■6歳から岩井柔道塾で柔道とレスリングを始める。
■中学3年生のときに、全国中学校柔道大会で初めての国内制覇。
■高校2年生のインターハイ優勝に続き、高校3年生のときには、2回目の海外遠征となるドイツジュニア国際柔道大会で金メダルを獲得。
■2009年より本格的にワールドツアーへ参戦。2010年には柔道女子57kg級の世界ランキング1位となる。
■2012年のロンドン五輪では金メダルを獲得。闘志あふれる柔道スタイルから「野獣」の異名で親しまれた。
■2016年のリオデジャネイロ五輪では銅メダルを獲得。
■2016年11月に結婚。2017年7月に第1子となる女児を出産。
■2020年東京五輪を目指すも、2019年2月に現役引退を正式に表明。引退後はアイスクリーム店を作ると宣言。
東京・高田馬場の東京富士大学の5号館1Fに「ダシーズ」を出店。(現在は休業中)
店のコンセプト作りや商品開発に関わり、罪悪感(ギルト)がなく食べられる「ギルトフリーなアイスクリーム」をテーマに、アレルギーを持つ人や、ヴィーガンの人も安心して食べられるアイスを提供。

ENEOSプレゼンツ あさナビ
FM93AM1242 ニッポン放送 月-金 6:43-6:49

番組情報

黒木瞳のあさナビ

毎週月曜〜金曜 6:41 - 6:47

番組HP

毎朝、さまざまなジャンルのプロフェッショナルをお迎えして、朝の活力になるお話をうかがっていく「あさナビ」。ナビゲーター:黒木瞳

Page top