「僕もいちゃいけない」~松坂、電撃退団の背景に潜む恩師への思い
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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、10月4日に今シーズン限りでの退団を発表した中日・松坂大輔投手にまつわるエピソードを取り上げる。
「僕に声をかけてくれて、ドラゴンズに入れてもらった2人が退団することになったので、僕もいちゃいけないかなと思って……」
4日、スーツ姿で2軍の本拠地・ナゴヤ球場を訪れ、加藤宏幸球団代表と会談した松坂。席上、退団を申し入れ、了承されました。つい先日「残留の方向で話がまとまった」という報道もありましたが、一転、退団することになったのは、本人が語ったように「恩人」2人がチームを去ることになったからです。
その2人とは、森繁和・前シニアディレクターと、友利結(デニー友利)・前国際渉外担当です。2人とも松坂とは西武時代からのつながりで、森氏は、松坂が新人の1999年、西武の2軍投手コーチでした。
松坂は森氏からプロのピッチングのイロハを教わり、その後も何かに付けアドバイスをもらっていた間柄。一方、友利氏は当時の現役投手として西武に在籍。松坂は兄貴分として、友利氏を慕っていました。
メジャーから帰国後、ソフトバンクに3年間在籍しながら1勝も挙げられなかった松坂は、2017年オフ、球団から引退→コーチ就任を打診されましたが、本人は現役続行を希望。
自由契約で浪人の身となった松坂に声を掛けたのが、当時中日の監督だった森氏でした。その時点では、戦力になるかどうか未知数だった松坂を呼んだ理由について、森氏はのちにこう語っています。
「這い上がろうとする奴が、俺は好きなんだ」
メジャー、WBC、日本シリーズ……様々な大舞台でエースとして投げて来たピッチャーが、何とかもう1度、1軍のマウンドに上がろうと必死になっている。その背中を若手たちに見せるだけでも、大きな価値がある。森氏はそう考えたのです。
松坂も、チャンスをくれた恩師の思いに応えました。1500万円という格安の年俸で、それまでゆかりのなかった中日に入団したのは、森氏と兄貴分の友利氏がいたことも大きな後押しになったのです。
「1、2勝挙げられればいい」と考えていた森氏でしたが、移籍1年目の昨年(2018年)、松坂は11試合に登板。6勝4敗という堂々たる成績を残し、カムバック賞に輝きました。
今季の年俸は8000万円に大幅アップ。しかし、開幕ローテーション入りを期待されながら、キャンプ中、ファンに右手を引っ張られるというアクシデントで右肩を痛め出遅れ……。7月にようやく初登板を果たしましたが、2試合で0勝1敗という成績でファームへ。8月下旬、右ヒジに炎症を起こし、そのまま実戦登板することなくシーズンを終えたのです。
そのため、来季の契約については「白紙」という判断に。9月にフロントと松坂の間で下交渉が行われ、シーズン終了間際になって「再契約」の方向で話がまとまりかけましたが、世話になった2人の退団が、松坂の気持ちを折ってしまいました。
「チームメートと一緒に野球をやっていたい、という気持ちも強かったが、自分自身の残り少ない野球人生を考えたとき、出る方がいいのではと考えた」
コーチ時代から、日本向きの選手をドミニカなどから格安の年俸で来日させ、外国人獲得に辣腕を振るっていた森氏。その後継者と目されていた友利氏も含め、なぜ中日球団が放出してしまったのか、その意図はわかりません。森氏の方向性とは違った、新しい体制を築こうということなのでしょう。
しかしその代償として、若手のよき手本となり、アドバイザーでもあった球界の宝・松坂を手放すことになりました。
8月にデビューし4勝を挙げたルーキー・梅津、11勝と大きく飛躍した3年目の柳(横浜高出身、松坂の後輩)、左ヒジ手術から復帰を果たした小笠原……みな松坂から投球術を学び、調整法を学び、体の使い方を学び、故障との向き合い方や心構えを学んだのです。
今季は戦力になっていないようで、実は大きな戦力になっていた松坂。投手陣が手薄な古巣・西武が、コーチ含みで獲得を検討するのでは、という見方もあります。来季40歳となる松坂が新天地にどこを選ぶのか、オフの話題になりそうです。
また、森氏退団の余波で、松坂以外にも退団者が相次いでいる中日ですが、多少の痛みは覚悟の上で、新体制構築に舵を切ったフロント。来季、7年連続Bクラスから脱却するために、ファンが納得するどんな補強策を見せてくれるのか、こちらも注目です。