「令和初アーチ」は巨人・坂本、「平成初アーチ」を打った選手は

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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、改元後最初の「第1号ホームラン」を打ち、球史に名を刻んだ選手のエピソードを取り上げる。

原辰徳(はら・たつのり) プロ野球、巨人=写真提供:産経新聞社(1989年11月19日整理)

5月1日は、平成から令和への改元が行われた日。早いもので、「令和」がスタートして1年になります。昨年(2019年)のいまごろは、GWでプロ野球の各球場はどこも大盛況でしたが、1年後、5月になっても開幕していないなんて、あのころは夢にも思いませんでした。一刻も早い、新型コロナウイルス禍の終息を願って止みません。

ところで、「令和スタート」で思い出しましたが、当時プロ野球ファンの間で話題になったのは、「令和初ホームランは、いったい誰が打つのか?」。改元に先立ち、野球殿堂博物館がNPBに協力を要請。「平成最後のボール」「令和最初のボール」とともに「令和第1号のホームランバット」が、プロ野球史を飾る資料として展示されることになったのです。

本来なら、球史に残るような大記録を達成しない限り、自分のバットが展示されることはありませんが、このときだけは“いちばん乗り”でホームランを打てば、その栄誉に預かれるのです。令和初日の5月1日、パ・リーグはすべてナイター。一方、セ・リーグは3試合とも午後2時開始のデーゲームでした。……パの選手たちの歯ぎしりが聞こえて来ます。

筆者は「令和第1号は、ホームランが出やすい東京ドームで飛び出すに違いない」と予想し、歴史的瞬間を生で目撃すべく、ドームのスタンドへ。カードは巨人-中日戦でした。先攻・中日の選手のほうが条件は有利でしたが、1回表、中日は無得点で終了。

その裏、巨人は坂本勇人が、中日先発・山井からレフト前ヒットを放って出塁すると、亀井義行のタイムリーで生還。この時点で、他の2試合はいずれも0-0でしたので、「令和初得点」(=最初にホームを踏んだ選手)は坂本になりました。

「さすがはキャプテン、持ってるな」と思いましたが、坂本の引きの強さはこれで終わりませんでした。巨人が序盤に4点を奪ったため、2回裏、坂本に早くも第2打席が回って来たのです。その時点で、他球場はまだノーアーチでした。

1死ランナーなしの場面で、坂本は山井の初球をフルスイング。球種はカーブでしたが、おそらく坂本は読んでいたのでしょう。打球は左中間スタンドへ飛び込み、球史に名を刻む「令和初ホームラン」に。昨シーズン、自身最多の40本塁打を放った坂本ですが、この記念アーチ(8号ソロ)で勢いに乗った気がします。

では、時代を少し遡って、「平成初ホームラン」は誰が打ったかご存じですか? めぐり合わせとは恐ろしいもので、実は平成第1号も、ジャイアンツの選手が東京ドームで打っているのです。その選手とは誰あろう……原辰徳監督なのです。

1989年(平成元年)4月8日に行われたセ・リーグ開幕戦、巨人-ヤクルトで記念の1発は飛び出しました。1回表、ヤクルトは無得点。その裏、2死三塁のチャンスで4番・原に打順が回ります。原はヤクルト先発・尾花高夫の6球目を捉えると、打球はレフトスタンドへ! この先制2ランが、記念すべき「平成初ホームラン」となりました。

その瞬間、拳を何度も突き上げながら飛び上がり、チームメイトと喜びを分かち合った原。自身通算250号という節目の1発だったこともありますが、原にしては珍しく、人目も憚らず大喜びしたのは、もう1つ理由がありました。

実はこの年(1989年)から、王貞治監督に代わって藤田元司監督が復帰。原にとってはプロ1年目の指揮官でしたが、原は開幕前、その恩師からレフトへのコンバートを言い渡されていたのです。しかも「もうサードに戻すことはない」という通告付きで……。

巨人のサードといえば、長嶋茂雄・終身名誉監督が守って来たポジション。原もミスターのように、引退まで誰にも渡さないつもりでしたが、チーム事情も理解し、コンバートを受け入れました。「内野と違って、これからは守備で中継に映ることも少なくなる。ならば、打つ方で思い切り目立ってやろう」と決意して臨んだ開幕戦だったのです。それだけに、この「平成初ホームラン」には格別の思いがありました。

これで勢いに乗った原は、続く3回にも2打席連続アーチを放ち、主砲の活躍で巨人は快勝。つまり原監督は、選手として「平成初アーチ」を放ち、監督として「令和初アーチ」を体験したことになります。この試合、完投で藤田監督に復帰初白星をプレゼントしたのはエース・桑田真澄で、これが「平成初完投勝利」になりました。

一方、坂本の「令和初アーチ」が生まれた試合は、エース・菅野智之が最後まで投げ「令和初完投勝利」。背番号も桑田と同じ「18」です。どちらの試合も、指揮官は復帰1年目で、巨人の主砲が東京ドームで記念弾を打ったのも同じ。さらに坂本も原も、当時ちょうど30歳……よく「歴史は繰り返す」と言いますが、こういう不思議なめぐり合わせを見ると、スター選手が持つ運の強さを感じずにはいられません。

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