尖閣漁船衝突事件の真相~仙谷由人氏が墓場まで持って行ったこと
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ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(10月16日放送)に元内閣官房副長官で慶應義塾大学教授の松井孝治が出演。10年前に起きた「尖閣漁船衝突事件」の真相について語った。
現在に至る中国との関係性の1つの転換点となった「尖閣漁船衝突事件」
10月15日も沖縄県の尖閣諸島沖に中国海警局の船2隻が相次いで進入し、航行中の日本の漁船1隻に接近しようとする動きを見せたと報じられている。ここでは、10年前、2010年9月7日に起きた「尖閣漁船衝突事件」について、松井孝治に訊く。
飯田)あれから10年ということで、掘り下げた記事が出たりしていますが、松井さんがやっておられる「創発プラットフォーム」でも、当時、当事者であった前原さんに話を聞くなどして、記録に残そうとされています。その動機としては、あの事件がいまに至る中国との関係性の転換点だったということもありますか?
松井)1つの、という意味ではそうでしょう。いろいろな要素があったと思います。例えば外交一元化というようなことを言いますけれども、この尖閣の漁船衝突が起こったときは岡田克也さんが外務大臣でした。前原さんは海上保安庁を所管する国土交通大臣だったのです。その後、改造があって、前原さんが外務大臣になりました。前原さんは終始一貫して、これは従来の不法上陸だとしています。これは何度かありましたが、自民党政権では、そういうときは基本的に強制送還するのです。
飯田)第1次安倍政権のときも強制送還していたと記憶しています。
船長を逮捕した経緯
松井)ここで違うのは、泥酔していたということが後にわかるのですが、船長さんが海上保安庁の船に故意に体当たりして来たのです。そして、海上保安庁の船はほとんど沈みかけているのです。沈んだら人命も失われるという状況のなかで、民主党政権がどうこうというより、外交当局、法務当局とすべて相談して、本来は逮捕相当であるということになったのです。しかし、尖閣や北方領土などでは、勝手に当局の判断で動かないということで、鳩首会談で官邸にあげて判断をしました。そこで、これはやはり悪質だと、これを放置したらまたエスカレートして来ると。認めたということになりますからね。だから、そういうわけにはいかないということで、従来より一歩踏み込んで「逮捕」ということになったのです。
菅(かん)氏が指示を出して船長を保釈~中国に屈服したように見える結果に
松井)その数日後にいろいろな外交的な判断、総理大臣の判断で釈放するとブレてしまったのです。「それはおかしい」というのが前原さんの基本的な考え方です。その前原外務大臣を外して、官邸が引き取り、亡くなられた仙谷由人先生が責任者になられて、菅(かん)さんがその指示を出され、最終的にその船長を釈放するということになったのです。逮捕して、結局釈放した。それは、中国で拘留されている日本のビジネスマンが、スパイ容疑で死刑にするかも知れないという脅しや、資源外交でレアアースを出さないと言って来るなど揺さぶりをかけられて、結局、それに屈服したように見えてしまうということになったのです。
誰がどのような意思決定をして、何が失敗だったのか~同じ過ちを犯さないためにはどうするべきか
松井)その真相を、内側で何があったのか。前原さんはどういう行動を取ったのか。あのとき形の上では強硬に出たけれど、相手が更に強行に来たときに、妥協してしまい、外交上、恥ずかしい結果になってしまったわけです。そういうことをすべて含めて、「どなたがどういう意思決定をして、何が失敗だったのか」。同じことを起こさないためには、どうしたらいいのか。それから、逆に言うと、自民党だったら船長を逮捕などせずに強制送還したと言いますが、それで本当に済むのかどうか。「あれは民主党政権が下手を打ったから」だということだけではなくて、今後、同じように中国が一歩踏み込んで何かして来たときに、日本はどうするのか。
中国が交渉相手に前原氏を外した本当の理由
松井)なぜ前原さんが外されたか。当時、アメリカの国務長官がヒラリー・クリントン国務長官だったのです。前原さんは彼の人脈を駆使して下交渉をし、尖閣が日米安保第5条の対象であると。「尖閣は日本の領土であり、日本の領土を守るという意味でアメリカは協力するのだ」という言葉をクリントン国務長官から取ったのです。これがおそらく中国側を刺激したのです。
飯田)なるほど。
松井)要するにこの事件をめぐって一歩前に進めて、実効支配をさらに強化したと。もちろん我々からしたら尖閣は日本固有の領土なのですが、それを更に「コイツはアメリカにコミットさせやがった」ということで、「その前原は外せ」と言って来た。「前原とは交渉しない」というメッセージがあったのだと思います。しかし、ここは仙谷先生が他界されたので、わからないのです。おそらく菅元総理の指示のもとで、「前原では問題解決しないから、仙谷さん頼む」と言われたのではないかと推測されるのですが、菅さんは「よく覚えていない」とおっしゃっているので、わからないのです。しかし、そういうことは明らかになっていないではないですか。
外務省とは別に、官邸主導で細野氏を中国に派遣
飯田)そうですね。では、そういう文脈のなかで細野豪志さんが中国に行って交渉して来るという流れになったと。
松井)そうです。仙谷さんが、外務省の前原さんとは別に細野さんを送った。いま想像するに小沢一郎さんは親中派ですよね。その小沢さんの当時1の子分と言われていた細野豪志さんをある種、日中友好の証のような人物として派遣した。そして外務省は外務省で動いているのですが、違うところで、官邸主導で打開を目指されたと。仙谷先生はそれが1つの要因となって、国会で問責決議を受けて、結局、官房長官を退かれることになります。仙谷先生はそれを亡くなるまで語っておられないのです。しかし、前原さんは、仙谷先生はすべて泥をかぶって、棺桶にまで持って行かれたのではないかと。それを濯ぐためにも、自分はこれを話さなくてはいけないと言っています。外交上の機密について彼は話をしているわけではないです。
飯田)仙谷さんは一切語らなかった。
松井)前原さんは前原さんで、当時の事務次官を特使で送っていますが、それは外交上の機密ですから細かいところはおっしゃっていないのです。私もそこまで聞こうとは思いませんが、言える範囲で政治家として証言をして欲しいと。「菅さんが悪かった」と追及するためにやっているのではなくて、「同じことが起こったときに日本はどうするのですか」ということを、いまの政府与党の方々にも考えて欲しいし、1つの材料にして欲しい。野党の方々も、自分たちがやってしまったことが、どういうことだったのかということをもう1度噛み締めて欲しい。次に同じようなことが仕掛けられたときに、同じように強く出て、同じ結果にならないように。逆に言うと、「向こうが挑発して来ないような抑止力をどう持つか」ということを考えて欲しいから、こういう証言シリーズのようなことを始めているのです。
反省点や教訓が多く残されている
飯田)何か1つ「これのせいだ」とすれば、わかりやすいのでしょうが、それで覆い隠されてしまう部分が多かったのかも知れないですね。
松井)そうだと思います。菅元総理も、それは止むに止まれず、そう判断なさったのだと思うのです。
飯田)後ろにAPECが控えているとかいろいろありましたよね。
松井)いろいろなことがあった。当時は実は、総理大臣と前原さんはこの事件の後、ニューヨークの国連総会に行った。しかし中国側とは会えない。そして、すべて留守番の仙谷先生がいろいろ下工作をして、中国側とのパイプづくりをした。やはり大国だし、日本の国益のために、中国と全面的な対決をいつまでもできない。我々から見たら、そのタイミングが少し早かったのではないかという印象を持ちますが。
飯田)日本の世論の成熟を待つ前にすべてやってしまったというのが、妥協したのではないかと。
松井)あたかも中国側の圧力に屈したのではないかというように、国際社会からも、中国側からも見られてしまった。最終的には外交ですから、もちろん武力衝突で解決するなどということにしてはいけないので、どこかで妥協点を見つけなければいけないのですが、どこでアメリカを登場させてどのようにやるのかというのも含めて、いろいろな反省点や教訓がてんこ盛りなのではないでしょうか。
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