榊原郁恵が芸能界入りするときに、父親が母に語った“泣けることば”
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黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に女優・歌手・タレントの榊原郁恵が出演。デビューのきっかけとなった「ホリプロタレントスカウトキャラバン」へ応募した経緯について語った。
黒木)毎日さまざまなジャンルのプロフェッショナルにお話を伺う「あさナビ」、今週のゲストは女優・歌手・タレントの榊原郁恵さんです。
榊原)よろしくお願いします。
黒木)榊原さんは第1回「ホリプロタレントスカウトキャラバン」のグランプリを受賞されてデビューなさいましたが、これはなぜお受けになったのですか?
榊原)よく「180度人生が変わりましたね」とおっしゃいますが、違う次元に行ったみたいに感じました。自分が魔法にでもかかったんじゃないかというくらいに。歌手になりたかったわけでもないですし、歌や演技のレッスンをしていたわけではないのですけれど、何かやりたくなったのでしょうね。私、郷ひろみさんの大ファンで、雑誌の『平凡』『明星』を自分のお小遣いで毎月買っていたのです。月刊『明星』の付録に歌の歌詞やコード譜が出ている歌本というものがあるのですが、歌本のいちばん後ろの裏表紙に「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバンのお知らせ」のページがあって、そこに“歌手志望”と、“役者志望”があったのです。2つの選択肢があったのです。ね、わかります、これで。
黒木)はい。
榊原)なので、私、歌手にはまったくなりたくなかったので、役者志望があるということで……何でしょう。受けてしまったのです。
黒木)でも、グランプリですよ。
榊原)グランプリを獲った次の日からもう仕事がありました。
黒木)役者の仕事?
榊原)ではなくて、ご挨拶回りと取材。それからコマーシャル撮影が入って来て、ヨーロッパ旅行。ヨーロッパ旅行は副賞として付いていたのですが、それも月刊『明星』の取材も込みでした。
黒木)いままで読んでいた『明星』のなかに入ってしまったのですね。
榊原)それと、デビュー曲のレコーディング。あと、グランプリを獲ったご褒美として、山口百恵さん、三浦友和さんのお正月映画に出させていただきました。『春琴抄』という映画に。
黒木)観ました。
榊原)30秒だけ出ています。
黒木)あ、本当に? すみません。見逃しておりまして。
榊原)オーディションを受けたのが9月7日、そして1月1日デビューなのです。たった3ヵ月の間にいま言ったものがすべて組まれていたのです。親に面と向かって許可をもらうこともできませんでした。学校に行きながら仕事という感じでした。そのとき、父親が母に伝えた言葉をのちに母から聞いたのですが、「子どもがどうなるかわからないけれど、子どもの芽を摘む権利は親にはない」と。「この花が枯れるのか咲くのかわからないけれど、とにかく見守ることしかできないから、見守って行こう」と父が言ってくれたらしいのです。
黒木)素晴らしい言葉ですね。
榊原郁恵(さかきばら・いくえ)/女優・歌手・タレント
■1959年生まれ。神奈川県出身。
■1976年「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」でグランプリを受賞。
■1977年1月1日に歌手デビュー。
■1981年~1987年まで「ブロードウェイミュージカル・ピーターパン」で初代ピーターパンを務める。以降、歌手・女優・タレントとしてさまざまな舞台で活躍。
■1987年、俳優・渡辺徹と結婚。長男・渡辺裕太さんも俳優・タレントとして活躍。
■2021年3月から舞台「たぬきと狸とタヌキ」を上演。映像配信も実施予定。
番組情報
毎朝、さまざまなジャンルのプロフェッショナルをお迎えして、朝の活力になるお話をうかがっていく「あさナビ」。ナビゲーター:黒木瞳