ショウアップナイター エピソード55
<エピソード20~「俺が打たれたときにお前は質問するなぁ」の言葉に滲む大魔神の“気遣い”~>
~今年2021年、放送開始から「55周年」のシーズンを迎えたニッポン放送「ショウアップナイター」。これを記念し、中継だけでは届けきれない取材情報や解説陣の“ここだけの話”など、「55」のエピソードを紹介していく連載企画~
ショウアップナイター実況担当・洗川雄司アナウンサーが、メジャー時代の佐々木主浩からシアトルで受けた「気遣い」について明かした。
今年2021年に55周年を迎えるニッポン放送ショウアップナイターは、「ショウアップナイタースペシャル」としてメジャーリーグ中継も実施してきている。その駐在のために入社2年目にしてアメリカへ赴任していた洗川雄司アナウンサーが、現・ショウアップナイター解説者・佐々木主浩とのマリナーズ時代のコミュニケーションについて振り返った。
「2001年、イチローさんがシアトル・マリナーズへ入団。ニッポン放送はそれを追うため、アメリカ・シアトルに放送拠点を置きアナウンサーの常駐を開始しました。ここを拠点に注目の日本人選手のところにアナウンサーが取材しに行き、現地からリポートをお届けしていましたが、当時、現地でアナウンサーが常駐して実況しているのはテレビ・ラジオ含めてニッポン放送しかいなかったんですよ。そして入社2年目となる2002年、私は佐々木主浩さんとイチローさんを追ってシアトルに赴任。入社2年目の若手がニッポンのプロ野球中継ですらデビューしていないのにいきなりメジャーリーグ中継でデビューするなんて今となっては考えられませんよね」
「現地シアトルに赴任後、私は主に佐々木主浩さんの取材を行っていました。当時、日本人記者だけで30人近くいたと思いますが、佐々木さんは、登板した試合後はロッカールームで日本の報道陣に対して取材に応じるというスタイルがとられていました。当然ですが、長いシーズンの中、9回を抑えてセーブをあげる日もあれば、いい結果が出なかった日もありました。結果が出なかった日は、やはり質問を切り出しにくいもので、誰が最初に質問をするか記者陣で目配せしてましたね。結果、一番若い私が質問を切り出さないといけなかった状況が多々ありました(笑)。
結果が出なかった時に限って洗川が質問するので、当時佐々木さんには『俺が打たれたときにお前は質問するなぁ』と冗談まじりに言われていましたね。ベテラン記者が多い中で若手の私を気遣って声をかけてくれていたものと記憶しています。数か月シアトルに滞在した私がシアトルを離れる前日、佐々木さんに『お世話になりました、明日東京に帰ります』と挨拶しにいったら、佐々木さんは『じゃあ、記念にこれを持っていけよ』と言い、ボールを手渡してくれました。このボール、その日にセーブをあげたボールだったのです。それぐらい、佐々木さんは現役のときから、全ての報道陣に気遣ってくれていました。ですので、本当に佐々木さんには今も感謝してもしきれないという思いでいっぱいです」
「その後も、私は6回ほどメジャーリーグ中継で渡米しましたが、赴任中に失態をしでかした事がありました。次回(7月12日掲載予定)は、ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜選手を巻き込んだその大失態を振り返っていきます」
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連載情報
ショウアップナイター エピソード55
ニッポン放送「ショウアップナイター」55周年を記念し、中継だけでは届けきれない取材情報や解説陣の“ここだけの話”など、「55」のエピソードを紹介していく
2021年、放送開始から『55周年』のシーズンを迎えるニッポン放送の看板プロ野球中継番組「ニッポン放送ショウアップナイター」。記念となる一年に『55!!(GoGo!!)みんなのプロ野球 』をシーズンキャッチとして、55 周年にちなみ55の企画をお届けしていく。
ニッポン放送ショウアップナイターHP:https://baseballking.jp/showup