話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は7月27日、東京五輪・ソフトボールで好リリーフを見せ、13年ぶりの金メダル獲得に貢献した後藤希友(みう)投手にまつわるエピソードを取り上げる。
「今回、初めて五輪を経験して、私自身素晴らしい経験をたくさんの試合で積ませていただいた。一球一球全力で投げて、すごく楽しかった」
~『スポーツ報知』2021年7月28日配信記事 より(決勝翌日(28日)合同記者会見での後藤希友コメント)
2008年の北京大会以来、3大会ぶりに五輪競技に復活したソフトボール。日本の全6試合中5試合に登板し、リリーバーとしてチームを支えたのが、20歳のサウスポー・後藤希友です。
福島で行われた1次リーグ第2戦・メキシコ戦。日本は2-1とリードしたまま7回を迎えましたが、先発のエース・上野由岐子が同点に追い付かれ、なおも無死一・二塁のピンチ。ここで日本代表・宇津木麗華監督が2番手として起用したのが後藤でした。
「今日は上野さんの誕生日だったので、必ず勝ちをプレゼントしたいと思っていた。自分自身が強い気持ちを持ってマウンドに上がることが大事だと思う」
~『サンケイスポーツ』2021年7月22日配信記事 より
後藤はこの絶体絶命のピンチを、キャッチャーフライと2者連続三振で切り抜け、延長タイブレイク(無死二塁からイニングを開始)の8回も、満塁にはされましたが3三振を奪って無失点でしのぎました。その裏、日本は渥美のサヨナラヒットで勝利。後藤の「神救援」が光りました。
1次リーグ3連勝のあと迎えた25日のカナダ戦。この試合、日本は勝てば決勝進出が決まり、銀メダル以上が確定する大事な一戦でした。試合は互いに譲らず、6回を終えて0-0。先発・上野が94球で降板後、7回から2番手でマウンドに上がったのは、もちろん後藤でした。
後藤は、5番から始まるカナダ打線を3者連続三振に仕留め、延長タイブレイクの8回も、再び3者連続三振! その裏、日本は山田のヒットでサヨナラ勝ち。後藤の6者連続三振は、チームに勝利を呼び込んだ圧巻のパフォーマンスでした。
さらに27日に行われたライバル・米国との決勝でも、2-0と日本がリードした6回裏、上野がこの回先頭の9番・モールトリーにヒットを許した場面で、宇津木監督は後藤を投入。1番・マクレニーを三振に仕留めます。
後藤は続く2番・リードにヒットを打たれ、1死一・二塁のピンチを迎えましたが、3番・チデスターが放ったサード強襲のライナー(腕を直撃)に遊撃・渥美がすばやく反応、好捕し、二塁に送球。二塁走者は飛び出していたため併殺が完成し、日本は最大のピンチを無失点で切り抜けました。打たれたかと思いきや、味方にスーパープレーが飛び出すあたり、やはり後藤は何か持っています。
最後の7回は、再び上野が登板。優勝決定のマウンドは大先輩に譲りましたが、上野に疲れが見えると、後藤がリリーフし抑えるという「黄金リレー」が日本に13年ぶりの金メダルをもたらしました。
この米国との決戦、先発投手は上野とオスターマンで、最後にマウンドにいたのが上野とアボット。「北京五輪の決勝と同じだ!」と話題になりました。違うのは、日本には後藤がいたことです。上野が1人で投げ抜いた北京と違い、今回の金メダルは、年の離れた先輩・後輩のタッグでつかんだものでした。
後藤がソフトボールを始めたのは、小学4年生のときでした。恵まれた体格もあって、中学3年生の時点でストレートの球速がすでに100キロを超えており、史上最年少の14歳でU-24日本代表に選抜されました。
高校はソフトボールの名門・東海学園(愛知)に進み、球速は110キロまでアップ。2017年9月、17歳のときに、高校生ながら強化指定選手として初めて日本代表に招集されます。代表デビュー戦は翌2018年、東京五輪の前哨戦として東京ドームで行われた「日米対抗ソフトボール」の初戦でした。
3万2000人を超す大観衆が詰めかけるなか、後藤は4点リードの7回途中に登板。左打者が続く場面でのリリーフを託されました。緊張からか、先頭打者に四球を与えますが、すぐに気持ちを切り替えられるのが後藤の素晴らしいところです。続くバッターを見逃し三振! 大観衆の前で鮮烈デビューを飾った後藤、大舞台でも臆さず相手に向かって行く勝負度胸は、このときから発揮されていたのです。
今年(2021年)3月、日本ソフトボール協会が東京五輪の代表メンバーを発表した際、弱冠20歳の後藤の選出は「サプライズ」とも言われました。宇津木監督は後藤を選んだ理由について、会見でこう語っています。
「左というのが一番の特徴。ボールの種類は少ないが若さの勢いと、コントロールとボールの質が素晴らしい」
~『スポニチアネックス』2021年3月23日配信記事 より(宇津木麗華監督コメント)
この発表より前の、昨年(2020年)11月、宇津木監督はスポーツ紙のインタビューで、後藤についてこう語っています。
『ふと、若き日の上野由岐子にダブらせることがある。球の速さではない。迷いなく腕を振り、低めに制球良く投げ込んでいく姿だ。トヨタ自動車の左腕、後藤希友(みう)は愛知・東海学園高から加入して2年目の19歳。左右の違いこそあれ、日本の大エースへの階段を駆け上がっていた20年近く前の上野に通じる』
~『西日本スポーツ』2020年11月30日配信記事 より
北京のときと違い、今度は上野1人にすべてを背負わせることはできない。「迷いなく腕を振り、低めに制球よく投げ込んで行く」ピッチャーがもう1人欲しい……宇津木監督にとって、13年ぶりの金メダルに欠かせないパーツが、かつての上野を彷彿とさせる後藤だったのです。
「一生に1度しかない東京五輪を人生の中で経験できた。日本で開催されるのは現役の中でないと思う。すごく最高な経験ができた」
~『日刊スポーツ』2021年7月27日配信記事 より(後藤希友コメント)
5試合合計で、10回2/3イニングを投げ、22奪三振を記録した後藤。ソフトボールは、次回2024年のパリ五輪の競技からは除外されますが、続く2028年のロスオリンピックでは再び復活する可能性もあります。そのとき後藤投手は27歳。今回の金メダルは決してゴールではありません。7年後のエースを目指し、これからも後藤は左腕を振り続けます。
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