毎週日曜日夕方に放送しているニッポン放送女子ソフトボール情報(18:50~有楽町930ステーション内)では、オリンピックイヤーの2020年という事で、ビックカメラ高崎、そして、東京オリンピックでの活躍が期待される上野由岐子投手のインタビューを放送しました。
ここでは、放送できなかった所も含め、そのインタビューを紹介したいと思います。
上野由岐子投手(ビックカメラ高崎所属)
【2019年 チーム成績】ビックカメラ高崎 優勝 18勝4敗
【2019年 個人成績】通算成績 5勝1敗
東京オリンピックの前年となる2019年。上野投手には、いつも以上に注目が集まっていました。リーグ戦の開幕節では、前年のリーグ優勝チーム・トヨタ自動車を1対0で下し、チーム同様、好調なスタートを切った上野投手。
しかし、2節のデンソー戦で事件が起きました。強烈な打球が上野投手の顔面に直撃、上野投手は病院に緊急搬送。「下あご骨骨折」で、全治3ヵ月と診断されました。
上野投手がマウンド上で、打球を受けて負傷したのは初めてでした。当時の事を振り返ってもらいました。
―開幕してすぐ、4月27日のデンソー戦(群馬・太田市運動公園野球場)で大ケガをした訳ですが、当たった時の事は覚えていますか?
『当たった瞬間は、脳震盪が凄くて立っていられなかったというか、とりあえずうつ伏せで『もう、そっとして置いて』という感じでした。そして、だんだんあごが痛くなってきて、「あ、これはヤバい奴だ」って(苦笑)。痛み的にも感じていたので「あー、やっちゃったなぁー」感が強かったです』
―その後、歩いてベンチに戻りましたが、感じたのは痛さだけでしたか?
『そうですね。それこそ、顎が横にずれているような感覚だったので…動かせなかったですし、とにかく「これは病院に行かなければいけない!」と思っていました(苦笑)』
―全治3ヵ月という事で入院した訳ですが、入院中は身体がなまったりしませんでしたか?
『なまりましたよ(笑)。手術をする前までは痛みが強かったので、動く気にもならなかったんですけど、手術をして、ある程度整えてもらった後は、むしろ顎から下は元気なのでジッとしていられないというか、もう暇で暇で(苦笑)。体力を持て余して、何かやっていないとムズムズするような、そういう毎日を過ごしていたんですけど。ただ、顎だったので食事はぜんぜん出来なかったですし、鼻からチューブを通して、流動食でいる時は凄い辛かったというか、喉を通らないので食べている感覚もないし、体重も一気に5キロくらい落ちて、結構、大変でしたね(苦笑)』
―そんなときはベッドの上で、『動く所だけでも強化しよう』と考えたりするのですか?
『そうなんです。それこそ寝たきりではなかったので、普通に廊下とか階段をウロウロしていたんです。そうしたら看護師さんに「階段は止めてください!」って(笑)。ウロウロする時も、「スリッパだと転んだら再手術になるので、靴を履いてください!」とか、自分がどんどん動いていくので、看護師さんは気が気じゃなかったと思います』
―流動食だったという事ですが、ご飯が食べられなかった時は、「退院したらあれを食べよう」と考えましたか?
『いや、痛みが強くて、ものを噛める状況じゃなかったので、むしろ何か食べたいなんて思えなかったです(笑)』
―最初に食べた食べ物はなんですか?
『おかゆですね。退院しても、硬い物、固形物は食べられないんですけど、「ある程度の食事が取れるようにならないとだめよ」って言われていたので、とにかく早く食べられるようになりたかったです。顎だったので口が開かないんですよ、ぜんぜん。固定しっぱなしだったので、なんとか開く口の大きさに食べ物を切って、とりあえず口の中に入れてしまえば、あとは咀嚼できるみたいな(笑)。だからパンなどもかぶりつけずに、小さくちぎって口に指で押し込んで、そんな食事をしていました。家に戻って来てからも、いつも行く焼肉屋さんに行ったんですけど、焼肉屋さんのママが凄く心配してくれて、お肉なんて食べられる状況じゃなかったので、栄養のあるおかゆを作ってくれました。それを食べた時が一番おいしくて、ご飯のありがたみを感じました』
―上野さんが入院している間もリーグ戦は行われていて、ビックカメラ高崎のチーム、特に投手陣が頑張ってくれていました。試合は映像で見ていたのですか?
『もちろん、全試合を映像で見ていました。むしろ自分がいない時の方が、みんな…なんと言うか、急に責任感が強くなったような、「こういうピッチングが出来るんだったら、もっと早くやってよ!」と思うようなピッチングでした(笑)。それくらい1人1人が、もちろんバッテリーだけではなく投手を守ってくれている野手も、少しでも投手の為にと早く点を獲ってくれたり、プレーしてくれたり。そういうプレーを見ていて頼もしかったというか、怪我をしないに越したことはないんですけど、自分が抜ける事でチームの中の意識が凄く変わって、逆に良かったんじゃないかなって。1人1人が「自分は思ったよりもできる」と、そういったものに気づけた期間でもあったんじゃないかな? というのは感じています』
―オリンピックの1年前にこういう怪我をしたのは、結果的によかったのかもしれない?
『そうですね、怪我をしてよかったとは言えないんですけど。でも怪我をする事で、自分自身も得た物はあったし、気づかされたこともあったし、本当に神様がくれた考える時間だったんじゃないのかなって。これからどうしていくべきなのか、どういう事をやっていかなければいけないのか、休んでいる間に色々な事を考えました。今のままで良いのかな? という思いだったり、いろいろな物が良い意味でリセットされて、それこそ《新しい上野》としてリスタートできたことが、今回の、今年の結果にも繋がったと思っています。無駄にケガをしたわけではなく、しっかり進化して戻ってこれたのではないかなと思っています』
―進化したと言えば、復帰戦となった9月8日のシオノギ製薬戦では、いきなりノーヒットノーランでの復活となりました。これも今回、考える時間があったのがよかったですか?
『そうですね。やっぱりチームメイトだけじゃなくて、ソフトボール・ファンなど色々な方が心配をしてくれていたし、そういう周りの存在を凄く感じたリハビリ期間だったので。そういった意味では『戻ってきたよ!』というアピールも、自分の中で凄くやりたかったし、『これで完全復活だぞ!』というアピールをしたかったんです。でも、ノーヒットノーランは出来過ぎなんですけど、そういうタイミングでやれたことは、神様が見てくれていたのかなとは思いますけどね』
―今年はオリンピックも含めて、ソフトボールが注目される1年です。そんな1年のチーム目標や個人の目標は決めていますか?
『ビックカメラ高崎には日本代表候補選手が沢山いるので、今年はチームの誰もが五輪をメインに考えていると思うし、まずはメンバーに選ばれる事を目標に、チームの試合に取り組むことになると思います。その中で、ビックカメラ高崎の選手としての役割、全日本の選手としての役割と、それぞれが違った要求をされると思います。だから両方の要求に答えようとする時に、どのくらいチームに負担がかかってくるのか。この事は目に見えてわかっている事だからこそ、どうチームを1つにして戦っていくかが大切だと思いますし、ある程度、五輪を想定した試合をリーグ戦でも想定していかなければいけないと思っています。
それは五輪選手だからとか五輪選手じゃないからとか、そういう一線を引かずに、それが出来るのがうちのチームの良さだと思っているので、だからこそそういう戦い方をしていかなければいけないなと。そして、五輪が終わって全てが終わりじゃないので、リーグ後半戦もありますし。特に昨年優勝をして、今年は2連覇がかかった年になるので、まだビックカメラになって2連覇できていないからこそ、今年は2連覇のチャンスだと思って挑んでいかなければいけないと思っているので、戦っていかなければいけないなという思いですね』
―去年の開幕投手も上野投手ですが、五輪イヤーでもある今年の開幕戦は「絶対に投げたい」と思っていますか?
『そうですねぇ…正直、今は投げたいと思って投げている試合はないです。できれば1イニングでも多く、若い選手に経験をして欲しいと思っているので、チームから任された試合はしっかりまっとうしようと思っています。この気持ちは凄く大事にしているし、(開幕戦を)投げたくないという思いではないです。マウンドでしか感じられない経験が、いままでの自分を育ててくれたので、だからこそ若い選手にもそういうチャンスを与えてほしいなという思いは持っています。今年は昨年のような投手力、チームの投手陣、全総力で1試合をまかなっていくような、そういう試合を1つでも多くやっていきたいなと思っています』
―シーズンが始まるにあたって、野球選手や色々なスポーツ選手は、シーズンの初めに道具を新調する選手も多くいますが、上野投手は新調する方ですか?
『毎年、グローブを新調しています。そして新調したグローブに、その年の目標を入れています。道具も心機一転じゃないですけど(笑)』
―今年のグローブの色や文字などは、もう決めたんですか? 変える方ですか?
『まだですけど、多分変えないです(笑)。オーダーの締め切りが1月初めなので、まだ何となくの構想の状態です』
―では、グローブの中に書いてもらう言葉も、まだ決めていないのですか?
『はい。その言葉は毎年変えていて、まだ決めていません』
―いつごろ決めるのですか?
『いや、そろそろ決めないと(苦笑)。2月のキャンプの時にグラブを下すので、1月にはオーダーをしないといけないです』
―上野投手はグラブの色で、使いたい色などはあるのですか?
『うちのチームカラーが赤なので、赤をメインに使っています。でも、特に色を変える予定はないです』
―藤田倭投手(太陽誘電)などはピンクなどを使っていますけど、上野投手は使わないんですか?
『あまりガチャガチャしたのは好きではないし、そんな歳でもないので(苦笑)』
《東京オリンピック2020について》
―去年の決勝トーナメントで、オリンピックの試合会場でもある横浜スタジアムのマウンドに上がりましたが、「オリンピックの時、ここに沢山のお客さんが…」と想像しましたか?
『いや、全くしていないですね。まあ、前日練習の時には…横浜スタジアムって、結構、客席の角度が付いていて、圧迫感があるじゃないですか。だから「近いな、迫って来る感じがあるな」というのは感じましたけど。でもそう思うと、大観衆になったらどうなるのかな? とか、思わなくはなかったかな(笑)。ただそんな事よりも、試合をしていてその圧迫感が気にならなかった事の方が、自分には印象に残っていて、「練習では凄く近く感じたけど、実際、試合では気にならなかったな。変に意識をしなくていいのかな?」という印象を受けましたね』
―集中力を高めやすいスタジアムなんですかね?
『そうですね。でも、逆に集中していたからこそ、ぜんぜん気にならなかったのかもしれないですけど(笑)』
―投げやすいスタジアムということですか?
『そうですね、横浜スタジアムは、私は嫌いじゃないです』
―では、五輪で投げるのが楽しみですね。
『そうですね。2018年、千葉マリンスタジアムで行われた世界選手権、あの時にスタンドの皆さんから送って頂いた大声援は、今でも忘れないですし、こういう力が私達の背中を押してくれているんだなっていうのを、凄く感じたんです。だから東京五輪でも、またそういう大声援をこのグラウンドで味わえるのかなと思うと、すごく楽しみでもあります』
―世界選手権の時もそうですが、ここ数年、ライバル・アメリカと戦うと僅差で負けてしまっています。アメリカと対戦する時に、「ここがちょっと足りないのかな」と思ったりしますか?
『そうですね。ただ私にとって世界選手権は、色々な意味で自分のやりたい事を試せる、日本代表としての唯一の公式戦という感覚があるので、「やりたいことがやれた。だからこそ負けてしまった」という気持ちもあるし、「やりたい事がやれたので、この負けを必ずオリンピックに繋げよう」という気持ちもあります。だから、この前の世界選手権はそういう気持ちで、よい試合が出来たんじゃないかなとは思っています』
―では東京五輪に向けたテストの場として、いい試合でしたか?
『そうですね、もちろん勝ちたかったという思いはあるんですけど…勝たなければいけないのはここではない、という思いもありました。やっぱり今年7月にアメリカにどう勝てるか、どう勝つかという事を、本当に考えながら取り組んでいるので、そこに向けてやるだけという感じですね』
―昨年末の日本代表合宿から、北京五輪で金メダルを獲った時のチームメイト・峰幸代捕手(トヨタ自動車)が代表復帰しましたね。
『色々な意味で、経験のある選手が入って来るのは心強い事だと思うので、チーム力としては逆にプラスになったと思っているし、峰に関しては自分も以前バッテリーを組んでいたので、不安はないです。むしろ峰の復帰を、我妻(捕手)がどう刺激を受けて、どう伸びてくれるかな、どう成長してくれるかなという方が大きいです。我妻には期待をしていますけど、色々な意味で何か足りないものが、まだまだという思いが(宇津木)麗華監督にあったから峰を呼んだのだと思うし、だからこそ、もっと我妻に成長して欲しいなと思います。だから峰の存在は、日本代表にとってもすごくプラスになるんじゃないかな、と思っています』
―最後にメッセージを。
『はい! いよいよ2020年がスタートしました。まずは、五輪。しっかり照準をしぼって、今まで自分がソフトボールで携わってきたすべてのスキル、色々な物を込めて、1球1球投げていきたいと思っています。世界選手権で受けたあの時の大声援を、もう1度背中に背負えるような、そういう試合をやっていきたいと思いますので、ぜひ今シーズン…今年も、皆さんの大声援をよろしくお願いします』