話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、陸上日本選手権での活躍で東京五輪内定を勝ち取った女子やり投げの北口榛花選手、男子110mハードルの泉谷駿介選手、男子100mの多田修平選手にまつわるエピソードを取り上げる。
史上最もハイレベルな争いと言われた男子100m。驚異的な日本新記録が生まれた男子110mハードル。日本記録保持者が貫禄の強さを発揮した女子やり投げ……オリンピック1ヵ月前の開催とあって例年以上の注目度となった陸上日本選手権(6月24~27日開催)は、期待に違わぬハイレベルな戦いとなりました。
このうち、上述した女子やり投げを制した北口榛花、男子110mハードルで日本新を出した泉谷駿介にはある共通点があります。もともとは他競技、他種目で注目された選手だったということです。
たとえば北口の場合、小・中学生のころは競泳とバドミントンをプレー。バドミントン女子で世界ランク1位にまでのぼりつめた山口茜とも全国大会で対戦した実力があり、団体では全国優勝の経験もあるほど。旭川東高校入学当初は競泳でインターハイ出場を目指していたと言います。
それでも、類稀な身体能力に惚れ込んだ同校陸上部顧問、松橋昌巳監督の誘いをきっかけに、まずは競泳とやり投げの二刀流に挑戦。競泳は記録が伸び悩んだ反面、やり投げは競泳とバドミントンの経験も生きたことで面白いように記録が伸び、専門種目となったのです。
『松橋先生が水泳やバドミントンの動きに置き換えて教えてくれたのが分かりやすく、習得できた感じがあります。そして、そういう引き出しが自分にあったのは、小さい頃から親がいろんなスポーツをやらせてくれたから。やり投げの腕の振り切りが凄く速いと言われるのはバドミントンのスマッシュ、肩や体の柔らかさは水泳の水の中での動きが生きていると思います』
~『スポニチアネックス』2020年1月11日配信記事 より(北口榛花コメント)
一方、ハードルの泉谷駿介は中学時代から陸上に打ち込んでいたものの、当初得意だったのは走高跳。高校では八種競技(100m、走幅跳、砲丸投、400m、110mH、やり投、走高跳、1500m)と三段跳びでインターハイに出場し、八種競技は優勝、三段跳びは3位と堂々たる成績を残したマルチアスリートでした。
大学入学当初も、まずは三段跳びをメインにしつつ、平行して走幅跳と110mハードルにも取り組んで行こう……そう考えていた泉谷がハードルに比重を置くようになったきっかけは偶然の産物でした。
『春の四大学対校で、先輩たちが強かったので走幅跳と三段跳の出場枠が埋まっていたんです。それで110mハードルに出させました』
~『月刊陸上競技』2019年5月14日発売号 より(順天堂大学・越川一紀コーチのコメント)
こうしてめぐって来た大会で追い風参考ながら好記録を叩き出して注目を集めると、大学2年(2019年)で早くも13秒30の自己ベストをマークして東京五輪参加標準記録(13秒32)を突破。世界選手権の代表選手となります(※ケガのため大会自体には出場できず)。
その一方で、同年の関東インカレではハードルだけでなく三段跳びでも優勝。走幅跳は2位と変わらぬ実力を発揮。いつしか、「跳躍ハードラー」と名乗るようになったのです。
今回の日本選手権でマークした13秒06の日本新記録は今季世界3位に相当し、リオ五輪では金メダルに0秒01と迫る驚異的なタイム。跳躍種目で培ったバネに加えてスプリント練習によるスピードを身につけたことで、自己ベストを2年で0秒24も縮める成長をみせたのです。ここまで跳躍に割いて来た練習量を鑑みれば、ハードルでの伸びしろはまだまだ期待できそうです。
今大会で注目を集めた「他競技・他種目」の経験を持つ選手は他にもいます。女子100mハードルで11年ぶりに日本一となった寺田明日香は、このブランク期間に7人制ラグビーに挑戦。日本代表候補合宿にも参加するなど「チームスポーツ」を経験することで「人に頼ること」の重要性を認識できたと言います。
『今では「チームあすか」を結成し、コーチ、トレーナー、栄養士、針治療担当、理学療法士、歯科矯正、メンタルケア、運営など大所帯で活動』
~『THE ANSWER』2021年6月27日配信記事 より
仲間に頼りながら走ることで、31歳にしてさらなる成長を見せているのです。
また、男子100mで9秒台選手たちを押しのけて2位となるサプライズを起こしたデーデー・ブルーノは、高校入学時はサッカー選手だったことでも話題を集めています。
このように、1つの競技や種目に縛られないことを推奨するコーチがいます。100mを制した多田修平を指導する佐藤真太郎コーチです。実は佐藤コーチ自身、現役時代は長距離選手から400mに転向して日本一になり、その後、100mでも国体で優勝。さらに、30歳を過ぎてからボブスレーに挑戦してソチ五輪にも出場した異色の経歴の持ち主です。
『年を経るごとに筋力が強くなって体重が増えた場合、種目の適正が変わることがあるんです。自分はずっと400メートル選手だと思っていた人が、どこかで100メートルに転じてみたら大成する。こういうことはよくあるんですよ。(中略)陸上競技は種目数が多く、それぞれ適正が違います。自分に合っていない種目を選択している子もたまにいるんです。少しトランスファーさせるだけでうまくいくことはよくあるので、頭を柔軟にして種目を選ぶのが大事だと思います』
~『THE ANSER』2021年3月27日配信記事 より(佐藤コーチコメント)
長年、2位に甘んじて来た多田修平がついに掴んだ日本一の栄光の影には、こうした柔軟な発想を持つコーチの力もあったと知れば、その栄光の価値により深みが出て来るのではないでしょうか。
事実、多田選手は今月(6月)、日本歴代6位の10秒01を出して五輪参加標準記録を突破した際に、こんな言葉を残しています。
『挫折しそうな時期があった。佐藤(真太郎)コーチを信じて、諦めずやってきて良かった』
~『スポニチアネックス』2021年6月7日配信記事 より(多田修平コメント)