「柔道ニッポン」を復活させた、井上康生監督“全力”の9年間
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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、東京五輪で柔道の日本男子に五輪史上最多となる5個の金メダルをもたらした、井上康生監督にまつわるエピソードを取り上げる。
「柔道の母国でのオリンピック開催」というプレッシャーもはねのけ、日本男子に史上最多となる5個の金メダルをもたらした、井上康生・日本代表監督。今年(2021年)9月には任期9年を満了して退任するとあって、団体戦終了後、選手・スタッフに胴上げされ、聖地・日本武道館で宙を舞いました。
「悔しい思いはあるが、こんなに素晴らしい選手たちと9年間戦わせてもらった。これほど幸せな者はいない。このチームと一緒に戦えたことを心から誇りに思う」
~『スポーツ報知』2021年8月1日配信記事 より
振り返れば、ロンドン五輪で「金メダルゼロ」という屈辱を味わい、柔道界が危機的状況を迎えていた2012年、34歳の若さで代表監督に就任。柔道ニッポンをどん底から救った人物が9年後、母国開催の五輪という大舞台で天高く胴上げされたのは、これ以上ない成功譚と言えるでしょう。
男子73キロ級で2大会連続金メダルに輝いた大野将平も、1日に行われたメダリスト会見で、こう語っています。
「私の柔道人生は井上監督とともにあったなと感じている。初めて見た五輪は00年シドニー。初めて代表になったのも(井上監督就任後の)13年から。監督のもとリオ、東京と2大会で連覇を達成できた。これは柔道人生の一番の誇りになっている」
~『日刊スポーツ』2021年8月1日配信記事 より
単にメダルの数を増やしただけでなく、柔道家としても後輩たちに大きな影響を与えて来た井上監督。その指導方針においては、モットーとする「熱意、創意、誠意」も有名ですが、他にも大切にして来たものがあります。それは、自身のホームページにも記している座右の銘「初心」です。
『私の座右の銘であり、常に心に大事に留めている言葉であります。「全て初心に帰って頑張ってください。」亡き母からの手紙に書いてあった一文。現役時代、勝たなきゃいけない、強くなきゃいけない、と何かに縛られている感覚が強くあり、結果を残せずにいた当時。「初心」という言葉は、私の心の奥深く、光を発しながら飛び込んできました』
~井上康生・公式サイト より
では、2012年の就任時に語っていた「日本代表監督としての初心」は何だったのでしょう。それは“全力”という言葉でした。
例えば2013年の海外合宿では、どこか覇気がなく練習に身が入らない選手たちを叱り飛ばすのではなく、彼らにこんな話をしました。
『「昨日まで元気だった大切な人を、いつ亡くすか分からない。一日一日を全力で生きてほしい」
井上がもっとも輝いたのは金メダルを取った00年シドニー五輪。だが、その前年、最愛の母が51歳で急逝。05年には3兄弟の一番上の兄も32歳で亡くしている』
~『朝日新聞デジタル』2021年7月31日配信記事 より
自身の体験をもとに“全力”で生きることの重要性を説いた井上監督。その後も折に触れ、“全力”という言葉を使って来た井上監督は、今大会が始まる直前に自身のブログで、こんな決意表明をしていました。
『開幕を前に思う事は、開催される限り、我々は全力を尽くすのみということです。これまで積み上げてきた日々を生かしきることができるよう選手、コーチ、スタッフ一丸となり戦い抜きます』
~『井上康生オフィシャルブログ』2021年7月21日配信分 より
これは、ただガムシャラにやる、という精神論的な“全力”思考ではありません。就任以来、率先してデータ分析や映像分析をもとにした強化策に取り組み、他分野のプロフェッショナルに学ぶ場を設けるなど、意識改革にも取り組んで来た井上監督。選手たちに“全力”を求めるだけでなく、自分自身も“全力”で柔道に、日本代表に向き合って来たからこそ、強固な信頼関係で選手たちと結び付きが生まれ、結果につながったのです。
そんな“全力”柔道を支えて来たのは、妻であるタレントの東原亜希さん。井上監督をどのようにサポートして来たかを質問されると、こう答えました。
「私は何もできないので、普通でいることを心がけています。家庭と4人の子供のことは心配せずに全力を尽くしてもらえるように家を全力で守ります」
~『サンケイスポーツ』2021年6月25日配信記事 より
夫人も“全力”サポート。柔道の全日程終了後、亜希さんはインスタグラムを更新し、4人の子どもたちが「メダルをもらえないパパ」のために手づくりの金メダルをプレゼントしたことを明かし、話題になっています。監督就任以来9年間、まさに全力で走りぬいた井上監督にとって、これ以上ない最高のプレゼントでした。
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