6月12日(日)、女優の戸田恵子がパーソナリティを務めるラジオ番組「戸田恵子 オトナクオリティ」(ニッポン放送・毎週日曜14時~14時30分)が放送。俳優の堀部圭亮がゲスト出演し、芸人時代や放送作家時代のことを語った。
堀部は、元はお笑いコンビ・パワーズとして、須間一也とコンビを組んで活動。途中、堀部はパワーズの“火野玉男(ひのたまお)”という芸名で、萩本欽一が司会を務めた番組『欽きらリン530!!』(日本テレビ・1988年4月~9月)に出演。しかし、そのオーディションがなかなかに大変だったと振り返った。
堀部:その当時は萩本欽一さんが全部の番組をお休みしていて、ちょうど復帰するタイミングで。その復帰の番組でオーディションがあるから行け、って言われて受けに行って。
戸田:うんうん。
堀部:オーディションの用紙に、コンビ名は「パワーズ」、芸名は「火野玉男」って書いて。僕その時のあだ名が「玉男」だったんです。石渡治さんの漫画『火の玉ボーイ』の火野玉男という主人公がすごく寝起きが悪くて、それに近かったので。それで「玉男」って呼ばれていたから。
戸田:(笑)
堀部:で、そのまま萩本さんのオーディションに受かってしまって。
戸田:それで合格して、番組ユニット「茶々隊」初期メンバーとして参加されたと。
堀部:はい。
戸田:その後、勝俣州和さん、草彅剛さんも加入されたんですよね。
堀部:そうですね。草彅くんは放送開始直後ぐらいに受けたと思うんですけど。オーディションの段階では木村拓哉くんも来ていたし。
戸田:へえ、面白い!
堀部:なかなかなメンバーで。
戸田:そうですよね、すごいですよね。その時の萩本さんって、まだ40代くらい?
堀部:それくらいですね、僕が21歳ぐらいだったから。
戸田:まあ、すごい時ですね!
堀部:オーディションだけでほぼ1年やっていて。僕はその途中からだから半年ぐらいですけど。お昼ぐらいから始まって、夜中の12時、1時ぐらいまでやっていて。だから毎回『これ、オーディションなんですよね?』って思っていて。人の入れ替わりも激しくて、新しい人が入って来てはいなくなり……。だけど、そうやっているうちに固定のメンバーがなんとなく決まって、最終的に僕、須間一也くん、松原桃太郎くんの3人だけ残って。
戸田:うん。
堀部:ものすごい準備をしてパイロット版を撮って、収録が終わった夜中、萩本さんが「3人だけだと暗い!」って言って。「オーディションもやり直そう!」と。
戸田:ええっ!
堀部:じゃあ、これは不合格ですか? っていう事があって。その後、メンバーに勝俣州和くん、西尾拓美くん。そして、田原俊彦さんのバックで踊っていた木野正人くんとかが入って来て、そこでやっと番組になりましたね。
オーディションで苦戦しつつも『欽きらリン530!!』の出演が決まり、番組初のユニット「茶々隊」のメンバー入りもしたという堀部。
茶々隊は後に再結成され、「CHA-CHA」として同番組のエンディング曲『Beginning』も担当。堀部も『Beginning』のレコーディングに向け、ダンスレッスン等をしっかり受けていたそうだが、直前に「ちょっとアイドルっぽい感じがしないから外れて」と言われたという。当時のことを「ちょっとホッとしたというか。自分がアイドル!? って思っていたから(笑)」と振り返り、外されて安心したと語った。
番組情報
女優・戸田恵子が大人のクオリティ・オブ・ライフ(上質で豊な生活)をエンジョイするための「人・モノ・コト」にフォーカスする番組です。
大人の会話が弾むプチトリビア、大人が生活に取り入れたくなる情報をお届けする30分。ぜひお付き合いください。