甲子園史上最も壮絶な試合「帝京vs智弁和歌山(第88回大会)」を生んだ帝京・前田監督の哲学

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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、8月6日から始まる夏の甲子園、過去の伝説の試合にまつわるエピソードを紹介する。

甲子園史上最も壮絶な試合「帝京vs智弁和歌山(第88回大会)」を生んだ帝京・前田監督の哲学

第88回全国高校野球選手権 大会12日目第2試合 帝京-智弁和 9回裏(智弁和攻)1死満塁。古宮の押し出しファアボールで3走・松隈(9)かえり智弁和歌山サヨナラ勝ち=2006年8月17日 写真提供:産経新聞社

組み合わせも決まり、夏の甲子園本大会の開幕が近付いてきた。球児たちの一戦必勝の夏ドラマ。その醍醐味の1つは、勝利への執念が時にとんでもない大逆転劇を生み出すことだ。

その代表例といえるのが2006年の第88回大会準々決勝第2試合、帝京(東東京)vs智弁和歌山(和歌山)の一戦ではないだろうか。両チーム合計29安打25得点、7本塁打という超乱打戦。帝京を率いる前田三夫監督と、智弁和歌山を率いる高嶋仁監督、高校球界を代表する名将同士の駆け引きも含め、「甲子園史上最も壮絶な試合」と呼ばれる激闘だ。

この一戦について、前田監督(※2021年に勇退し、現在は帝京高校野球部名誉監督)が上梓したばかりの初の自伝、『鬼軍曹の歩いた道』(ごま書房新社)のなかで振り返っていて興味深い。

試合は8回終了時点で4対8と、帝京が4点を追いかける形で9回表の攻撃へ。先頭打者が打撃の苦手な投手だったため代打起用を考えた前田監督は、ベンチ前で円陣を組んだ選手たちに「誰が代打に行くか」と意見を求めたという。

このとき、帝京キャプテン(当時)野口直哉からの「沼田、行けよ!」の進言で代打に決まったのが沼田隼。前年秋にはクリーンナップを打ちながら、この夏は背番号15をつけていた選手だった。

結果的にこの代打・沼田は凡退に終わり、ワンナウト。しかし、これでスイッチが入ったのか帝京打線に火がつき、2死一、二塁とチャンスをつくって4番の中村晃(現ソフトバンク)がタイムリー。さらに連打を浴びせ、ついに7対8と1点差に。

なおも2死満塁とし、打席には1年生ながらショートのレギュラーだった杉谷拳士(現日本ハム)。一打出れば逆転、アウトならゲームセットの場面で、杉谷選手は見事に逆転のタイムリーヒット。さらにその後、この回の先頭打者だった沼田にイニング2度目の打席が回り、劇的スリーラン。結果的にキャプテンの「沼田、行けよ!」の進言が見事に決まったのだ。

『私はこのとき、まさかここで選手たちが8点取って逆転するとは考えていない。どこまであがけるか意地を見せてほしいとは思っていたが、試合は下駄を履くまでわからないというのはまさにこのことだった』

~『鬼軍曹の歩いた道』より(前田監督の言葉)

12対8と、逆に帝京が4点のリードを奪って迎えた9回裏。しかし、代わった投手が制球難に苦しみ、連続四球を出したあとにスリーランが飛び出して12対11と1点差に。次の打者にも四球を与えたところで、前田監督は投手交代をコール。代わってマウンドに立ったのは、何と公式戦初登板となる1年生の杉谷。しかし、杉谷はその初球で死球を与え、あえなくこの一球で交代。試合はその後、智弁和歌山が逆転サヨナラ勝ち。逆転のランナーを許した杉谷選手が負け投手となった。

ちなみに、勝った智弁和歌山の勝利投手も、9回表にわずか1球を投げただけ。勝ち投手も負け投手も投球数がともに1球、というのは、甲子園史上初、プロ野球でも例のない珍しい記録となったのだった。

『二転三転の試合だったが、死力を尽くしたという点で後悔はない。それは選手も同じだっただろう。選手の声を反映して代打を決めたが、私のほうから選手の輪の中に入りともに戦うことの大切さを再認識し、指導者としても収穫だった』

~『鬼軍曹の歩いた道』より(前田監督の言葉)

百戦錬磨の前田監督が選手たちに意見を聞いていた、というのが意外な事実。その背景には、2000年前後からそれまでの厳しさ重視の指導法のままでいいのか悩み、模索した時代があったこと。そして、問題解決のためのヒントを求めて単身アメリカに渡り、“野球の原点”を見つめ直した経験が大きいという。

そこで前田監督が得た気付きは、エラーをしても罵声を浴びせず、いいプレーにはベンチからも客席からも惜しみない拍手が贈られる光景だった。アメリカの野球は、選手への期待感にあふれていたことが新鮮な発見だったという。

『見ている側がのめり込むような野球。これだな、と思った。高校野球に当てはめて考えたとき、勝つことも大事だが、観客が応援したくなるようなチームをつくりたいと思った。正々堂々とプレーすることはもちろん、選手一人ひとりが小さなことにも気づいてさっと動く。スライディングで相手が倒れたら手を貸して起こし、打席では相手捕手のマスクを拾って手渡す。コールドスプレーが必要なら敵味方関係なく、すぐに届ける。それらを当たり前にしていくことで、新しい帝京の姿が見えてくるかもしれない。そんな姿がチームを成熟させ、結果を導いてくれるはずだ』

~『鬼軍曹の歩いた道』より(前田監督の言葉)

帝京vs智弁和歌山の伝説の一戦は、2000年代前半に前田監督が気付きを得た「新しい帝京」の1つの具現化だった、と見ることができるはずだ。そしてそれは他の多くの高校野球部、監督、球児にも影響を与え、高校野球界全体の新しいスタンダードになっていく。

高校野球界の新しいスタンダード、という意味ではもう1つ、この代の帝京野球部が生み出したものがある。それが体を大きくするための食トレの一環「三合飯」。前述した野口キャプテンがこの三合飯の名付け親だという。

『野口のいたこの代は、戦力的に見て甲子園は十分に狙える、そして甲子園でも勝てるチームだと思っていた。しかし先輩たちは甲子園にコマを進めることができず、自分達も秋負けて、残すは夏だけ。そこで野口が「ラストチャンス」という言葉を使い、「甲子園で勝つには体力勝負となるから、みんなで三合飯を食おう!」と提案。それからというもの、各自が大きなタッパーに三合のご飯を詰めた弁当を持参するようになった』

~『鬼軍曹の歩いた道』より(前田監督の言葉)

今夏の甲子園出場校では、初出場を果たした愛媛代表の帝京五を率いる小林昭則監督(元ロッテ)が前田監督のもとでコーチを務めた経験を持つ教え子だ。小林監督以外にも前田イズムを参考にした指導者は多いだろう。その教えのもとでこの夏、また新しいドラマが生まれることを期待したい。

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