三宅裕司、恩人・高橋幸宏さんへの想いを涙ながらに語る

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1月15日(日)、三宅裕司がパーソナリティを務めるラジオ番組「三宅裕司 サンデーヒットパラダイス」(ニッポン放送・毎週日曜9時~12時)が放送。1980年代にテクノブームを巻き起こした伝説のバンド「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」のメンバーで日本を代表するドラマーの高橋幸宏(たかはし・ゆきひろ)さんが亡くなったという訃報を受け、三宅裕司が、恩人への想いを涙ながらに語った。

三宅裕司、恩人・高橋幸宏さんへの想いを涙ながらに語る

<左>三宅裕司 / <右>高橋幸宏さん 2018年10月05日午後、東京都港区 写真提供:産経新聞社

「YMO高橋幸宏さんの訃報を聞いて、驚いているところなんですけれど。これだけお世話になった方が亡くなると、ショックですね。

どうお世話になったかと言うとですね、1980年に『劇団スーパー・エキセントリック・シアター』(三宅裕司主宰、以下SET)が旗揚げをしまして(※創立1979年、旗揚げ公演1980年上演)、そこから、どうやって劇団を売っていこうかと思っている時、プロデューサーやディレクターに見てもらおうと思って、ニッポン放送の銀河スタジオで1本舞台をやったんですよ。

それで、少しひっかかって、『三宅裕司のヤングパラダイス』(ニッポン放送 1984年2月~1990年3月)が始まる少し前、『高原兄のヤングパラダイス』(ニッポン放送)の中で、『S.E.T.劇場』という5分コーナーを作って頂けることになったんです。嬉しかったですね、これはね。

5分のコーナーだけど、ラジオでレギュラーをもらえたということで、とにかく台本を書いて、『S.E.T.劇場』をやっていたんですよ」

三宅裕司、恩人・高橋幸宏さんへの想いを涙ながらに語る

「オールナイトニッポン」のパーソナリティを務めていた高橋幸宏さん

「その頃、高橋さんは『高橋ユキヒロのオールナイトニッポン』(ニッポン放送 1983年)を担当されていて、『S.E.T.劇場』が放送される時に、ちょうどオールナイトニッポンの打合せを毎週されていて、で、『面白いよね、SETって。この人たち、番組に呼べない?」とおっしゃってくださり、オールナイトニッポンに呼んでくださったんです。私・三宅裕司、小倉久寛、ほか2人で。

そんなゲスト出演がきっかけで、レギュラーにしてくださったんです。すごいでしょう? ファンレターとかも届くようになって、マスコミってすごいなぁと感じたんです。そんなところから、はじまったんです」

三宅裕司、恩人・高橋幸宏さんへの想いを涙ながらに語る

三宅裕司

「そこから、「三宅裕司のヤングパラダイス」を担当できるようになって、高橋幸宏さんとは、YMOの散開記念アルバム『サーヴィス』(1983年)のギャグ部門をSETが受け持つようになって……

そのあと、幸宏さんのプロデュースで、SETが1stアルバム『ニッポノミクス』を出したりとか。それをきっかけに、皆さんに知ってもらえたんです。

で、SET40周年記念公演のパンフレットを幸宏さんが書いてくださいまして、最後の〆の文章が、俺、これ読んで泣いちゃったんですけど……」

三宅裕司、恩人・高橋幸宏さんへの想いを涙ながらに語る

三宅裕司

そう語ると、涙をこらえきれなくなり、その文章を今読むとまた泣いてしまうと、パートナーの江口ともみに読みを託した。

『想い出に浸るのもいいけれど、三宅さんをはじめ、彼らSETは更に前に進んでいくんですよね。

頼もしく思いながらも、遠くから(別に、距離ではないです)、昔を懐かしむ権利を持っていることに、

ちょっと誇りをもっていたいと思っています。 高橋幸宏』

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この文章を受けて、三宅は「嬉しいですよね…… ご冥福をお祈りしたいと思います」と、恩人の訃報に、言葉を振り絞った。

 

【番組概要】
番組名:三宅裕司 サンデーヒットパラダイス
出演者:
パーソナリティ・三宅裕司
パートナー・江口ともみ
放送日時:2023年1月15日(日)9時~12時
番組HP:https://www.1242.com/miyake/
Radikoタイムフリー:https://radiko.jp/share/?sid=LFR&t=20230115090000

番組情報

三宅裕司 サンデーヒットパラダイス

毎週日曜 9:00 - 12:00

番組HP

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