“深夜の解放区”フレッシュな夜をリードし続けてきたオールナイトニッポン55年史

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1967年10月2日(月)25時、「君が踊り僕が歌うとき、新しい時代の夜が生まれる。太陽のかわりに音楽を、青空のかわりに夢を。フレッシュな夜をリードするオールナイトニッポン!」という糸居五郎の第一声でスタートした「オールナイトニッポン」。

才能豊かな数々のパーソナリティを見出し、常に時代の最先端を見つめ、新しい音楽・文化をラジオから発信してきた“深夜の解放区”が放送開始55周年を迎えた。

これまで担当してきたパーソナリティは400人超。年表を眺めるとそれぞれの時代を象徴するパーソナリティラインナップを通じて、「オールナイトニッポン」55 年の歴史を感じることができる。

“深夜の解放区”フレッシュな夜をリードし続けてきたオールナイトニッポン55年史

1960’s 初代パーソナリティ陣は全員ニッポン放送の社員たち

「オールナイトニッポン」初代パーソナリティは糸居五郎、斉藤安弘、高岡寮一郎、今仁哲夫、常木建男、高崎一郎の6名。創成期から1973年6月までのパーソナリティは全員ニッポン放送の社員だった。狭いスタジオにディレクターと語り手の2人だけ。構成と選曲はパーソナリティが担当するというDJスタイルで始まった。学生や浪人生、働く若い人々に向け「孤独な寂しがり屋の若い人々に広場をつくろう。ラジオを通じて、同じように生きる仲間と連帯を感じ元気になってもらおう…」これが、オールナイトニッポンに込められた想いだった。

スタート間もなく毎日5,000通を超えるハガキが集まるようになると、番組で紹介したアングラ・レコード「帰ってきたヨッパライ」にリクエストや問い合わせが殺到、280万枚以上の爆発的ヒットにつながった。

1968年9月号から発行された会報誌「ビバヤング」、初回は5万部限定で入手困難を極め“幻のベストセラー”と呼ばれ、リスナーが集う「ビバヤング例会」も開催された。1969年には亀渕昭信と斉藤安弘のコンビで当時アイドル的な人気があったカメ&アンコーによる「水虫の唄」が大ヒット。1970年にはリスナー達の声が外務省を動かし、内戦により飢餓に苦しんでいたアフリカのビアフラ(現在のナイジェリアの一部)救援活動に繋がった。

1970’s 気鋭のアーティストや人気お笑い芸人が深夜ラジオへ

1973年7月からは、小林克也、泉谷しげる、あのねのね、カルメン、岸部シローらタレントパーソナリティが登場。カルメンはオールナイトニッポン史上初の女性パーソナリティである。1974年、全国ツアー中の「あのねのね」の代役として期間限定で起用された笑福亭鶴光は、4月から正式にパーソナリティとなり、結果、11年9ヵ月にわたって深夜放送の顔として君臨した。

1970年代には、吉田拓郎、イルカ、山下達郎、松山千春、長渕剛、桑田佳祐、明石家さんまらが登場。当時無名だった稲川淳二、タモリ、所ジョージらがパーソナリティに抜擢されたものこの時期。なお、吉田拓郎は1970年代、1980年代、1990年代、2000年代、2010年、2020年代とそれぞれの年代でオールナイトニッポン名義の冠番組でレギュラーを担当してきた唯一の存在だ。

1980’s 深夜ラジオを盛り上げる“ハガキ職人”の誕生

1980年代前半は、坂崎幸之助、ビートたけし、谷山浩子、中島みゆきらが人気を誇る。『ビートたけしのオールナイトニッポン』では「ハガキ職人」という言葉が生まれた。1980年代後半はとんねるず、小泉今日子、松任谷由実、大槻ケンヂ、伊集院光、ウッチャンナンチャンらが登場した。

1990’s ナインティナインのオールナイトニッポン放送開始

1993年には「オールナイトニッポン STOP AIDSキャンペーン」が開催された。歌詞をリスナーから公募したキャンペーンソング「今、僕たちにできる事」には石川よしひろ、ウッチャンナンチャン、加藤いづみ、北原ゆき&松永並子、久保こーじ、清水宏、橘いずみ、電気GROOVE、2・3’S、福山雅治、松任谷由実、裕木奈江らパーソナリティが参加。ストップエイズの啓発に留まらず、その暖かい歌詞と優しい歌声からリスナーに愛され、東日本大震災後もOAされるなど、長きにわたり「オールナイトニッポン」にとって大切な曲として受け継がれている。

1990年代にはナインティナイン、YUKI、ロンドンブーツ1号2号、西川貴教、ゆずらの番組が人気を集めた。ナインティナインは2014年4月に放送20周年、6月には「オールナイトニッポン」史上初となる放送1000回を突破。岡村の単独でのパーソナリティ担当期間を含め、レギュラーパーソナリティの最長記録を更新中だ。

1999年3月からは新レーベル「LF+R」が発足。ニッポン放送のコールサインであるJOLFと略称のLFに「Love & Friends + Radio」という意味を掛け名付けられ、パソコン、インターネット、Eメールなどでデジタルコミュニケーションツールを積極的に番組に取り入れる、画期的なラジオプログラムに挑戦した。この時代にネプチューン、aiko、ポルノグラフィティ、土屋礼央、綾小路“セロニアス”翔(氣志團)などがパーソナリティに新しく加わった。

2000’s オードリーのオールナイトニッポン放送開始

2000年代はくりぃむしちゅー、小栗旬、吉岡聖恵(いきものがかり)、オードリーらが登場。

オードリーは2019年に番組10周年を記念した全国ツアーを行い、日本武道館で開催されたファイナルはライブビューイングも合わせて2万2000人が熱狂。大盛況で幕を閉じた。2023年現在、ナインティナイン、福山雅治に次ぐ歴代3位となる担当期間の記録を更新中だ。

2010’s かつての“2部”「オールナイトニッポン0(ZERO)」スタート

東日本大震災から一週間後となる2011年3月18日、『サンドウィッチマンのオールナイトニッポン』が放送。被災地に寄り添った言葉でスタートすべきか、お笑いを届けるか直前まで悩んでいた2人だったが、結果、ショートコント「CD屋さん」で入るという、被災地に寄り添いながらもお笑い芸人としての覚悟も届ける一夜限りの生放送だった。

2012年には27時からの「2部」が、14年ぶりに生放送の「オールナイトニッポン0(ZERO)」として復活。プロ・アマ不問のパーソナリティオーディションが開催され、1609組の応募者の中から和田正人&五十嵐隼士、久保ミツロウ&能町みね子、SPYAIR、Hi-Hi、そして現役大学生の本村康祐&西岡隼基が選ばれた。

2010年代は、鬼龍院翔(ゴールデンボンバー)、アルコ&ピース、back number、AKB48、星野源、新内眞衣、三四郎、菅田将暉らも登場した。

2016年からパーソナリティを担当する星野源はオールナイトニッポン50周年記念のジングルを手掛けた。5年に渡ってオールナイトニッポンブランドの各番組で使用されたジングルはリスナーからも愛され、星野源は55周年記念ジングルも制作。そのうちのひとつは、トラックを星野が担当、リリックとラップをオードリー・若林が担当したコラボジングルとなっている。

2010年代後半には、Creepy Nuts、佐久間宣行らの番組もスタート。Creepy Nutsは「深夜ラジオリスナーにHIP HOPを浸透させたい」という想いのもと、番組で音楽を発信。R-指定の『フリースタイルダンジョン』の2代目ラスボス就任、DJ松永のDJの世界大会での優勝、東京オリンピック閉会式出演など2人が世の中のメジャーシーンで躍動する様子に、リスナーたちは熱狂した。佐久間宣行はスタート当時テレビ東京の社員であり、現役テレビ局員の「オールナイトニッポン」パーソナリティ就任は史上初だった。

2020’s あの夜をもう一度「オールナイトニッポンJAM」リリース and more…

2020年代に入るとオールナイトニッポン発の番組イベントが多く開催されるように。

2015年に第1回が開催された「岡村隆史のオールナイトニッポン歌謡祭 in 横浜アリーナ」をきっかけに、前述のオードリーのほか、三四郎、佐久間宣行、Creepy Nuts、マヂカルラブリーらがイベントを開催。多くのリスナーたちとラジオとは異なる、熱く、エモーショナルな時間を共有した。

2021年に三四郎は「オールナイトニッポン」史上初の番組公式ファンクラブ「バチボコプレミアムリスナー」をスタート。2022年4月に佐久間宣行は、思春期の娘とのエピソードを語った“箱根旅行回”が日本民間放送連盟賞ラジオ部門において、ニッポン放送として初めて生ワイド番組部門で最優秀を受賞するという快挙を成し遂げた。

2022年6月には、「オールナイトニッポン」のアーカイブサブスクリプションサービス「オールナイトニッポンJAM」がスタート。2000年以降の人気番組を秘蔵マスター音源から続々と蔵出し。現在34番組が聴取できる。(期間限定配信を含む)

2023年2月には、55周年を記念し『オールナイトニッポン55時間スペシャル』が55時間連続で放送。「オールナイトニッポン」55年の歴史を紡いだ歴代のパーソナリティが続々と登場した。

社会現象を巻き起こしてきた「オールナイトニッポン」。2023年4月に新たなパーソナリティを迎え、これからもフレッシュな夜をリードし続ける。

オールナイトニッポンパーソナリティ年表

https://www.1242.com/info/ann/parsonality.pdf

番組情報

オールナイトニッポン

毎週月~土曜日 25:00~27:00

番組HP

東京・千代田区有楽町ニッポン放送から全国36局ネットでお送りしています

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