中日・大島洋平 2000安打を陰で支えた駒澤大の「先輩」と「同期生」

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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、8月26日のDeNA戦で通算2000安打を達成した中日ドラゴンズ・大島洋平選手にまつわるエピソードを紹介する。

中日・大島洋平 2000安打を陰で支えた駒澤大の「先輩」と「同期生」

【プロ野球中日対DeNA】2000安打を達成し、記者会見する中日・大島洋平=2023年8月26日 バンテリンドームナゴヤ 写真提供:産経新聞社

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『どの監督の時もずっと使っていただけた。すごく感謝の気持ちもある。試合に出ている以上、結果を残さないと思ってやってきた。監督にいろいろと言われたことはない。選手は使ってもらうのが一番ありがたいことなので、それだけで十分』

~『日刊スポーツ』2023年8月26日配信記事 より(通算2000安打達成後、大島のコメント)

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8月26日、地元・バンテリンドームで行われたDeNA戦で、3回、第2打席に石田健大からヒットを放ち、プロ野球史上55人目の通算2000安打を達成した中日のベテラン・大島洋平。

1985年11月生まれの大島は、現在37歳。名古屋市出身で、子どものころから中日ファンでした。高校も地元の名門・享栄高校へ。その後、駒澤大学~日本生命を経て、2009年のドラフト会議で中日から5位で指名され入団。憧れの球団でプレーすることになりました。

ドラゴンズひと筋・14年でたどり着いた2000安打の金字塔。中日では7人目の達成者で、大卒~社会人経由での達成は、古田敦也(ヤクルト)・宮本慎也(ヤクルト)・和田一浩(西武~中日)に続く史上4人目。1787試合目での到達は歴代9位のスピード記録で、球団最速です。

大島は入団のとき24歳で、既に妻子がいました。そのためルーキーに課せられる選手寮への入寮は免除。憧れの球団から指名されたとはいえ、安定した会社員生活を捨て、弱肉強食、保障のないプロの世界に飛び込んでもいいのか、妻子持ちであるがゆえに、大島はかなり悩んだそうです。しかし、妻にあと押しされ、最終的にプロ入りを決断しました。

大島の特筆すべき点は、「無事これ名馬」で故障が少ないことです。ケガをしても長期離脱には至らず、プロ4年目の2013年から昨季(2022年)まで10年連続で規定打席に到達。2012年から今季まで12年連続で100安打以上を積み重ねてきました。これがいかに凄いことか? ただケガに強いだけではこんな記録はつくれません。スランプに陥ることが少なく、調子に波がないのです。

冒頭で紹介した大島のコメント「どの監督のときもずっと使っていただけた」は、まさにそれを示すもの。入団時の指揮官は落合博満監督で、以後、高木守道、谷繁元信、森繁和、与田剛、そして立浪和義現監督と、6人の監督の下でプレーしてきました。6人全員が大島をレギュラーで起用したのは、それだけコンスタントにヒットを量産してくれたからです。

2019年・2020年には2年連続で最多安打のタイトルを獲得。3割をマークしたシーズンも通算6回を数えます。しかし意外なことに、首位打者のタイトルはまだ1度も獲得していません。惜しかったのは昨季(2022年)です。「令和初の3冠王」となったヤクルト・村上宗隆とシーズン最終盤までタイトルを争い、わずか4厘差で初タイトルを逃したのは記憶に新しいところです。

大島がヒットを打つことにこだわる理由は、チームを勝たせたいからに他なりません。

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『ヒット数が増えたら、それだけで塁に出ているということ。そうすると盗塁も増える。そうしたら点が入る。チームにとっていいことしかない』

~『日刊スポーツ』2016年1月9日配信記事 より(大島のコメント)

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プロ3年目の2012年には32盗塁を記録し、盗塁王のタイトルを獲得。ここ数年、盗塁数は減っていますが、2012年から昨季まで11年連続で2ケタ盗塁を記録。衰える、などという言葉は大島には無縁です。

そのタフな肉体を支えているのが、圧倒的な練習量です。37歳の現在も練習量はチームでも一、二を争い、練習メニューにも日々工夫を凝らしています。昨秋からウエートトレーニングに加え、ランニングメニューを追加。オフに大島が主催する恒例の合同自主トレでは、参加した若手選手たちが思わず音を上げるほどのキツいメニューを消化しています。

このトレーニングをサポートしているのが、2014年オフから大島のパーソナルトレーナーを務めている土田和楙(かずしげ)さん。実は土田さんは、駒澤大野球部で大島と同期生でした。大島は、現在都内のスポーツジムにトレーナーとして勤務する土田さんと一緒にメニューを練り上げ、筋力アップとケガに強い体づくりに努めてきたのです。

もともと体が硬かった大島。土田さんのアドバイスで、使っていなかった筋肉を鍛えるトレーニング法を導入すると、可動域が広がり、バッティングに柔軟性が生まれました。毎年安定した成績が残せるのも、こうしてつねに進化を目指す姿勢があるからこそです。

子どものころからドラゴンズを愛する大島ですが、かつて移籍がちらついたこともありました。2016年、大島は国内FA権を取得。ところが、オフに球団が提示した新たな条件は、年俸1億4000万円の3年契約。大島の希望と大きくかけ離れたものでした。他球団への移籍が噂されましたが、最終的に大島が選んだのは「中日残留」でした。

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『来年からもドラゴンズでお世話になります。今はすっきりしています』

『正直(FA宣言して)3、4年ぐらい出て戻ってくればいいやという思いもあったけど(チームが4年連続Bクラスの)今、この状態で出るのは逃げるみたいで嫌だった。どう顔を向けて名古屋へ帰って来たらいいんだと。名古屋の人たちにまだ何も返してない。来年はファンの方にいい思いをしてもらいたい。ここからが本当の仕事だと思っている』

~『東スポWEB』2016年11月1日配信記事 より(大島のコメント)

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実はこの決断の裏には、このオフに就任した森繁和元監督の「配慮」がありました。球団は3度目の交渉で、大島への提示額を年俸1億8000万円前後の3年契約にアップしたのです。森監督が陰で動いてくれたからでした。

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「森さんは(駒沢)大学の先輩でもあるし、いろいろと動いてくれて『どうしても残してほしい選手』だと言ってくれたそうです。後輩の僕がいなくなるわけにはいかなかった」

~『東スポWEB』2016年11月1日配信記事 より(大島のコメント)

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このとき「生涯ドラゴンズ」を決意したと言われる大島。2000安打は、駒澤大の同期生と大先輩の支えもあって実現したのです。

しかし、大島にとって2000安打は単なる通過点に過ぎません。次なる目標は、子どものころからの憧れの人・立浪監督が現役時代に放った通算2480安打(歴代8位・球団最多)を抜くこと。そして、プロ1年目・2年目(2010年・2011年)に味わったリーグ優勝の美酒を再び味わうことです。長く低迷が続くドラゴンズ。明らかに練習が足りていない若手選手たちには、コツコツと努力を重ねることの大切さを大島から学んで欲しいと切に思います。

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