【デフリンピック】圧巻パフォーマンス! 男子円盤投で湯上剛輝が貫録の金メダルを獲得!

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きこえない・きこえにくいアスリートによる「第25回夏季デフリンピック競技大会東京2025(以下、東京2025デフリンピック)」は24日、駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場で男子円盤投決勝が行われ、日本代表の湯上剛輝(トヨタ自動車)が58m93のデフリンピック新記録で制し、自身初となる金メダルを獲得した。

大会新記録で優勝を果たした湯上(中央)。デフリンピックは3度目の出場で、自身初の金メダル獲得となった

大会新記録で優勝を果たした湯上(中央)。デフリンピックは3度目の出場で、自身初の金メダル獲得となった

予選で55m14を投げ、全体の1位で決勝に進出した湯上。その決勝でも1投目に54m46、2投目に55m72、3投目に57m41と順調に記録を伸ばしてライバルたちを圧倒する一方で、納得ができず首をひねっていた湯上。「上半身で投げる癖が出てしまっていた」といい、「それを止める意識をしようと円盤を持たずに何回かターンをしてみたら、その感覚が良かった」という気づきからフォームを修正。その直後の4投目でデフリンピック新記録が生まれた。2投目と6投目でリトアニアの選手が湯上の記録に迫ったが、「抜かれても、それを上回る自信があった」と自分の投擲にフォーカスし、最終6投目では美しいフォームでウイニングスローを決め、右手を高く突き上げた。

決勝では途中でフォームを見直し、4投目の試技でビッグスローを決めてみせた

決勝では途中でフォームを見直し、4投目の試技でビッグスローを決めてみせた

自己ベストの64m48はデフの世界記録であり、健常者の男子円盤投の日本記録でもある。大会前から活躍を期待する声と注目が集まり、プレッシャーがなかったわけではない。だが、家族や親せき、親しい人たち大勢が会場に駆けつけ、また観客席からは身振りで応援するサインエールが送られ、「目で見える応援が本当に力になった」と、感謝した。

デフリンピック初出場だった2017年のサムスン大会(トルコ)では銀メダルを獲得。前回のカシアス・ド・スル大会(ブラジル)はコロナ禍で日本選手団が途中で出場辞退をしたため、湯上はフィールドに立つことができなかった。今大会はリベンジの想いを強く持っていただけに、「素直に嬉しいです。地元で金メダルが獲れてよかった」と、喜びをかみしめた。

夢と希望を与えるヒーロー「デフの選手の可能性を示したい」

1993年4月14日生まれ、滋賀県出身。生後約10カ月で重度の先天性難聴と診断され、小学6年で左耳に人工内耳の手術を受けた。甲賀市立水口中で陸上競技を始め、リレーで全国大会に出場。県立守山高で円盤投と出会い、3年の時にインターハイ6位、国体では3位に入賞した。その後、進学した中京大では元オリンピック選手の室伏重信コーチの指導を受けて力を伸ばした。競技の際は人工内耳の補助具を外して臨むため、試合中は「無音の世界」になるが、その環境が感覚を研ぎ澄まし、集中力の向上につながっているという。

湯上は常に記録を更新し続けてきた。2018年には62m16を投げ、当時の健常者日本新記録を更新。現在の自己ベストである64m48は、今年4月にアメリカ・オクラホマで行われた大会でマークしたものだ。さらに9月には、東京・国立競技場で開かれた世界陸上の日本代表に選出された。この種目で日本勢が世界陸上に出場するのは、2007年の大阪大会以来18年ぶりで2人目の快挙だった。湯上は世界陸上とデフリンピックの両方に出場した日本史上初の選手となり、その名を歴史に名を残した。

健常者の世界でもトップの実力を誇る湯上。聴覚に障害がある人たちの“ヒーロー”として、これからも挑戦を続けていく

健常者の世界でもトップの実力を誇る湯上。聴覚に障害がある人たちの“ヒーロー”として、これからも挑戦を続けていく

「聴覚に障害がある人たちのヒーローになりたい」と、これまで何度も口にしてきた。今大会も、「デフリンピックに出ることで、社会の聴覚障害者の理解推進につながっていくと思う。僕自身もデフの選手にはもっと可能性があるということを示したかった」という想いで臨んだ。そして、最高の結果をつかんだ今、湯上はさらに想いを込めて語る。「聴覚障害がある子どもたちやその親御さんに、夢と勇気と感動を与えるような、そんな選手でありたい。これからも継続して、自分はまだまだ大きい選手になることを目標に頑張っていきたい」

湯上剛輝の活躍と熱い想いは、多くの人の心にしっかりと届いたはずだ。

取材・文/荒木美晴
写真/植原義晴

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