いくつ知ってる?! 畑違いの“異種交流戦”によって生まれたヒット曲・ここがポイント!

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歌謡曲 ここがポイント! チャッピー加藤(ヤンヤンハイスクール講師)

最近、ますます注目されている昭和歌謡。
この講座では、日本人として最低限覚えておきたい歌謡曲の基礎知識を、わかりやすく解説していきます。

5月31日から、プロ野球は「セ・パ交流戦」が始まります。
普段はなかなか見られない対戦を楽しめるのが交流戦の魅力ですが、歌謡曲でも「異色の取り合わせ」が話題になり、ヒットした曲がいくつかあります。
今回は畑違いの「異種交流戦」によって生まれたヒット曲を見ていきましょう。

戦後の昭和歌謡界を代表する歌手といえば美空ひばりですが、エレキブームが台頭した1967年、大胆にも当時人気のグループサウンズとコラボを敢行、大ヒットしたのがご存じ『真赤な太陽』です。

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バックを務めたのは、この年『ブルー・シャトウ』でレコード大賞に輝いたブルー・コメッツ
お嬢は彼らを従え、流行のミニスカート姿で熱唱。世間に衝撃を与えました。
いま改めて聴いくと、しっかり歌謡曲。
決して時流に合わせたのではなく、お嬢がエレキブームを飲み込み、みごとに消化(昇華)したのです。

演歌界のスターが、フォーク界の旗手と組んで大きな話題になったのが、吉田拓郎が作曲、森進一が歌った『襟裳岬』です。

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ビクター50周年を機に、何か新しい発想の歌を、ということで、フォークグループ出身のディレクターが拓郎に曲を発注。
しかし上層部の反応は芳しくなく、最初はB面扱いでしたが、森進一自身がこの曲をいたく気に入り、両A面で発売したところ大ヒット。
74年のレコード大賞まで受賞し、代表曲の一つになりました。
後に大瀧詠一作曲の『冬のリヴィエラ』をヒットさせましたが、ボーカリスト・森進一の新たな可能性を引き出したのは、紛れもなく拓郎の功績です。

いま大瀧詠一の名前が出ましたが、ノベルティソング(俗に言うコミックソング)にも造詣の深かった氏は、異色のコラボを好んだ人でした。
82年、うなずきトリオ(ビートきよし・松本竜介・島田洋八)に『うなずきマーチ』を、86年、クレージーキャッツに『実年行進曲』(結成30周年記念盤)を書き下ろしただけでは飽き足らず、82年、なんと「民謡界の百恵ちゃん」金沢明子にビートルズを歌わせるという荒技に出ます。
それが『イエロー・サブマリン音頭』

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自らプロデュースを手掛け、日本語詞は、はっぴいえんど以来の盟友・松本隆に依頼。ナイアガラソングの中でも5本の指に入る珍曲ですが、音頭とロックの融合を試みたことは高く評価すべきでしょう。洒落を好んだジョン・レノンも草葉の陰で喜んでいるに違いありません。

忌野清志郎も、他流試合が大好きな人でした。いちばん有名なのがYMO・坂本龍一教授とのコラボ作『い・け・な・いルージュマジック』です。

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82年、資生堂春のキャンペーンソングで、オリコン1位の大ヒットになりました。
TV出演時に清志郎が教授にキスしたり、PVで万札を大量に飛ばしたり、やりたい放題でしたが、「この二人が組むなら何やってもOK」という空気が当時あったのも事実です。
ただ翌年、YMOがカネボウ春のキャンペーンソング『君に、胸キュン。』をリリースしたときは唖然としましたが。

ちなみに清志郎は、細野晴臣・坂本冬美ともHIS(下記ポイント参照)というテクノ×ロック×演歌という究極の異色ユニットを結成。
今も存命だったらいったい誰と組んでいたのか、興味は尽きないところです。

ジャンル横断的というか、こういう日本人ならではの「節操の無さ」が、歌謡シーンの幅を広げてきたのもまた事実。
アイドルとメタルの融合でいま世界を席巻しているBABYMETALの活躍も、この延長線上にあるのです。

“異種交流戦ソング”ここがポイント!
・左卜全とひまわりキティーズ『老人と子供のポルカ』(70年)
 …怪優・左卜全が、小学生の少女合唱団と歌い大ヒット!
・HIS(ヒズ)『夜空の誓い』(91年)
 …細野晴臣・忌野清志郎・坂本冬美が結成。ユニット名は3人の頭文字。
・とんねるず『ピョン吉・ロックンロール』(81年)
 …デビュー曲は『新・ど根性ガエル』主題歌。作詞・作曲は横浜銀蠅!

【チャッピー加藤】1967年生まれ。構成作家。
幼少時に『ブルー・ライト・ヨコハマ』を聴いて以来、歌謡曲にどっぷりハマる。
ドーナツ盤をコツコツ買い集めているうちに、気付けば約5000枚を収集。
ラジオ番組構成、コラム、DJ等を通じ、昭和歌謡の魅力を伝えるべく活動中。

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