本日5月9日は“エレキの神様”ノーキー・エドワーズ81歳の誕生日 【大人のMusic Calendar】

By -  公開:  更新:

OMC20160509-Nokie Edwards

ノ-キ-・エドワ-ズは1935年5月9日オクラホマ州のラホマという町で、14人家族(米国先住民族の家系)という大所帯の6男として誕生している。スイスから米国に移民したアドルフ・リッケンバッカ-が電気的増幅(アンプリファイア-ド)されたギタ-「Electro Spanish」の1号機を1932年に開発、'37年にトランク・ケ-ス型アンプとともに売り出すと米国では徐々にギタ-のエレキ化が進むようになる。

元々、カントリ-の世界では同じエレキでもスティ-ル・ギタ-がリ-ド楽器として一般化していたが、'50年代Rock'n Rollの誕生とともに、それがギタ-に変化していくことになる。こうした楽器の進化を背景にノ-キ-は幼少よりギタ-のみならずマンドリン、バンジョ-などを独学で弾きこなすようになり、その後の彼独特の奏法に完成していくことになる。

11歳の時には、トラックの荷台をステ-ジにして演奏する営業(町を移動しながら大道芸人たちが芸を披露する)で初めてのギャランティ-を得ていて、驚かされる。21歳の時に歌手バック・オ-エンズのバックで演奏活動を展開、すでにフェンダ-・ストラトキャスタ-を入手している。このバンドではギタ-職人としても著名なジ-ン・モ-ルス(ギタ-・デュオ、マ-クスメンとしてレコ-ドを制作)と知り会っている。この頃メジャ-・デビュ-直前のベンチャ-ズ、ドン・ウィルソンとボブ・ボ-グルとバンド・コンテストで知り合いレコ-ディングにベ-シストとして参加したことでノ-キ-の運命は好転していく。

1960年、ベンチャ-ズ「Walk Don't Run」(Dolton25<-X>)が全米ヒットして、快進撃が始まり、'61年の2ndアルバム『The Ventures』(Dolton-8004/2004)より、曲のほとんどのリ-ド(フェンダ-のソリッド・モデルによる演奏)をノ-キ-が弾くようになり、好セ-ルスを記録、'63年のアルバム『Surfin'』ではモズライトの特別仕様モデルで迫力あるリヴァ-ブ・サウンドを披露している。'64年ビ-トルズ全米上陸によって流行するR&Rのスタイルが変化するなか、ベンチャ-ズ・サウンドは全米チャ-トで健闘を見せた。

'65年1月に始まったベンチャ-ズ日本公演では、ノ-キ-によるモズライト・サウンドが大爆発を起こして、日本に空前と言われたエレキ・ブ-ムが起こる。アマチュア・バンドのサ-クル「T・I・C(東京インストゥルメンタル・サ-クル)」に参加していた成毛滋氏(フィンガ-ズ)や堤光生氏(プラネッツ)らが楽屋でメンバ-と交流したことで、ライト・ゲ-ジ(極細)のギタ-弦の存在を教えてもらい日本のギタリストたちの奏法も変化していくことになる。

ただ、日本でライト・ゲ-ジは販売されていなかったことで、1弦や2弦をずらして張る工夫が一般的になる。ノ-キ-の証言によればバンジョ-の弦をギタ-に張って、スティ-ル・ギタ-のような音を出したいという思いから、楽器店に頼んで作ってもらった極細弦を早くから使用していたようだ。また営業ステ-ジではベ-シストが確保できないことが多く、旋律を人差し指や中指で弾くと同時に親指でベ-ス・ラインを弾く奏法が自然に身についていたことを指摘している。

ベンチャ-ズがもたらしたライト・ゲ-ジは、速弾きや、時には曲芸的なギタ-・プレイにも適していてT・I・Cのメンバ-たちを歓喜させ、若きギタ-・プレイヤ-たちにとって革命的な出来事となった。ノ-キ-は、前述のジ-ンを通じて、セミ・モズレ-と知り合い特別仕様のモズライトを手にすることになる。Liveではより迫力あるリブァ-ブやディスト-ション・サウンド(歪み)が可能になり、日本公演(渋谷リキ・パレス)では出力が低い日本製のアンプによって、より歪んだ音となって結果としては、観客を魅了することになった。アマチュア・レベルの成毛氏たちがノ-キ-の奏法をコピ-するようになって、日本のギタリストたちの演奏技術は飛躍的にアップ、そのブ-ムは完全アマチュア先行型のものとなる。民放局による、アマチュアが腕を競ったエレキのコンテスト番組が、日本のエレキ少年たちに与えた影響は計り知れない。

立教大学で結成されたビ-トニクスが公演後、メンバ-からモズライトを購入したり、ブ-ムによって日本の楽器店によるエレキ・ギタ-製作も盛んになり、安価なエレキの国産モデルが少年たちを魅了していくことになる。結果としてその後のGSや'70年代のニュ-・ミュ-ジックなどのブ-ムの起点に"エレキ"があったことは間違いなく、その中心にノ-キ-という存在があったと言って良いのではないだろうか......。

【執筆者】佐々木雄三

ミュージックカレンダー

Page top