本日5月18日は寺尾聰の誕生日である。
今から69年前の今日1947(昭和22)年5月18日、神奈川県横浜市で俳優・宇野重吉の長男として生まれた彼は、法政大学第二高校に在学中からバンド活動を始め、文化学院大学文学部に進学後、奥島吉雄(ギター)、林廉吉(リード・ギター)、渡辺純一(ドラム)と共にアマチュア・エレキ・バンド「ザ・サベージ」を結成(寺尾はベースを担当)。
英国の人気バンド、ザ・シャドウズのヒット曲「The Savage」をバンド名の由来とする彼らは、ザ・ベンチャーズが絶大な人気を誇り、そのコピー・バンドが日本全国に続々と産声を上げるエレキ・ブームの中で、都会的でクールなシャドウズ・スタイルのエレキ・バンドとして注目され、学生主催のパーティーやコンサート等で活躍。特に女学生の間で圧倒的な人気を誇っていた。
1966年初頭、大学卒業を目前とした彼らは、バンド解散記念にテレビのバンド・コンテスト番組に出場したところ、見事グランプリを獲得。
ホリプロ社長の堀威夫からスカウトされ、サベージは解散を撤回しプロ・バンドへと転身。
66年7月、フィリップス・レコードより「いつまでもいつまでも」でレコード・デビューを果たす。
従来のプロ・バンドとは異なり、学生アマチュア・バンドがそのままプロへと移行したサベージの存在は当時としては画期的であり、その芸能界擦れしていないフレッシュなムードとサウンドは多くの若い音楽ファンたちの心を掴み、同年デビューのザ・ワイルド・ワンズ、ヴィレッジ・シンガーズ等と共に、のちに“グループ・サウンズ(GS)”と呼ばれる新しい音楽ムーヴメントの一翼を担っていくのである。
67年3月、寺尾は父と同じ俳優の道へ進むためにサベージを脱退。
石原プロモーション所属となり、翌68年2月、映画『黒部の太陽』でスクリーン・デビューを飾るが、完全に音楽から足を洗ったわけではなく、ジャズ・ギタリストの小西徹に師事しジャズを学び始めたことから、ジャズ・ピアニストで作・編曲家としても著名な三保敬太郎(1934-1985)率いる「ザ・ホワイト・キックス」に参加する。
シングル1枚を残してホワイト・キックスは解散してしまうが、三保との音楽的交流はその後も続き、70年7月にリリースされた寺尾の初ソロ・アルバム『二人の風船/恋人と一緒に聴いて下さい』は、ほぼ全編にわたり三保がアレンジを手がけ、洗練された極上のポップ作品に仕上げている。
こうした音楽活動を続けながら、俳優としても順調な歩みを重ね、『おくさまは18才』(TBS)、『男は度胸』(NHK)など話題作に出演。
79年10月から放映開始されたドラマ『西部警察』(テレビ朝日)の松田刑事(通称リキ)役は、それまでの役柄とは異なり、ニヒルでクールな寺尾の新たな魅力を引き出すこととなって、人気は急上昇する。
その勢いにのって、「SHADOW CITY」(80年)、「出航SASURAI」(80年)、「ルビーの指環」(81年)と、たて続けに3枚の自作曲シングルをリリースするが、「ルビーの指環」はミリオンセラーを記録。
寺尾にとって初のオリコンNo.1に輝き、第23回日本レコード大賞を獲得する。
ソロ・デビュー後11年目にして獲得した栄冠であった。役者としてだけでなく、念願のシンガー・ソングライターとしても大ブレイクを果たしたのである。
その後の活躍は周知の通り。
『雨あがる』(00年)、『半落ち』(04年)では、父・宇野重吉をほうふつさせる “いぶし銀”と呼ぶにふさわしい重厚な味わいの演技が高く評価され、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を獲得。
2008年には、長年の芸能活動が認められ紫綬褒章を受章している。
そんな彼のキャリアの原点とも言える音楽活動の方は、2011年から東京・六本木のライヴ・ハウス『Abbey Road』で、彼の好きな洋楽ナンバーを歌いまくる『Cover Live』シリーズを精力的に続けている。
今年はサベージのレコード・デビューから数えてちょうど50年目という節目の年。
だからこそ、前述の『Cover Live』シリーズで、寺尾をはじめAround古希揃いの元メンバーたちが集まってシャドウズ・ナンバーを演奏…なんてことを夢想してしまうオールド・ファン(筆者もそのひとり)も多いのではないだろうか?
【執筆者】中村俊夫