【ニッポンチャレンジドアスリート】
このコーナーは毎回一人の障がい者アスリート、チャレンジドアスリート、および障がい者アスリートを支える方にスポットをあて、スポーツに対する取り組み、苦労、喜びなどを語ります。
古澤拓也(ふるさわ・たくや)
1996年横浜市生まれ。先天性の二分脊髄で小学校6年生の頃、歩行困難になり車椅子生活に。
中1から車椅子バスケットボールを始め、ジュニア世代の日本代表として数々の国際試合に出場。
現在は強豪クラブ・パラ神奈川に所属。4年後の東京パラリンピック出場を目指す。
―生まれつき脊髄と一部が形成されない二分脊髄という症状を抱えていた。
古澤 人それぞれ症状が別なんですが、自分の場合は歩くのが困難になっていく病気です。小学校6年生の時に歩けなくなり車椅子生活になりました。
―しかし、症状は年を追うごとに悪化し車椅子生活に。そんな中、古澤は新たな競技に出会う。
古澤 障がい者スポーツ施設の横浜ラポールで車椅子バスケットボールの体験会が開かれていて、母に勧められて参加しました。その体験会が終わった後、練習に参加させてもらい、車椅子でもこんなに動けるんだなと思いました。
―車椅子バスケットボールがそれだけ激しくハードな競技である証拠。実際に自分でプレーしてみて難しかったことは?
古澤 最初に難しかったのはバスケを経験したことがなかったのでシュートフォームを作っていくところが一番難しかったです。元々野球をやっていて練習をするのが苦にならないタイプだったので毎回シュート練習するのが楽しみでしょうがなかったです。人より練習することが好きなほうだと思います。チーム練習以外にも個人練習を毎日体育館借りてやりました。出来ないことが悔しくて出来るまで練習するタイプだと思います。
僕の今の持ち点は3.0という持ち点の中でも真ん中に値される持ち点です。ポジションはポイントガードやガードというポジションでアウトサイドのシュートを中心にボールハンドリングを正確に行って味方の選手にパスを出す仕事です。
―負けず嫌いでうまくなるためなら猛練習も苦にならないという古澤、やがて、ジュニア代表入りの声がかかる。中学3年生の時、25歳以下が出場できる関東選抜に選ばれた古澤、その後もジュニア世代の代表に呼ばれ、2013年高校2年生の時、アンダー23代表としてクエートに遠征、初めて海外での試合を体験した。
古澤 クエートでは同世代の国が参加していなかったのですが、初めて同世代の国の選手と闘ったのがアンダー23世界選手権予選のタイで行われたアジア・オセアニア予選です。大きなレベルの違いは感じなかったのですが、チェアースキルや手の長さ、細かいところの技術で少し差を感じました。
―古澤は海外で同世代の選手たちと闘ってみて、痛快したことがあった。
古澤 今までも真剣に練習はやっていたのですが、高校2年生の時にトルコで行われたアンダー23の世界選手権に参加した際に他の国の選手とのレベルの違いを感じました。それまでも真面目に練習をやっていたつもりだったのですが、他の国の選手はもっと練習をしていたのだと思います。それ以来、ノートを書いて毎日復習して練習をするようになりました。
バスケの時は性格が少し変わります。日常では妥協したり、ここはまあいいやと思うことがありますが、バスケの時は地味な練習でもしっかりとけっして妥協せずにやります。シュートのフォームは毎回気にしていたのですが、シュートに行くまでの形やドリブル、車椅子のチェアースキルという車椅子操作を重点に置いて練習をしています。自分も早く代表に選ばれるように練習を積んでいきたいと思っています。
―ジュニア代表は同世代のトップクラスと交流できる貴重な場でもある。古澤が一番刺激を受けている同世代のプレイヤーは誰なのか?
古澤 今、同世代で一番刺激を受けているのが鳥海連志選手です。
―鳥海とは高校生ながら日本代表のトップチームに呼ばれ、リオ行きも内定している鳥海連志選手のことだ。自分よりも年下なだけに古澤にとっては大きな刺激になっている。
古澤 鳥海選手に始めて会ったのはアンダー23世界選手権後のアジアパラユース大会ジュニアのオリンピックみたいな大会の時に始めて一緒に代表として会いました。合宿では会っていたのですが、なかなか話す機会がなくて話すようになったのはアジアパラユースの選考段階の時からです。
―鳥海のおかげで古澤は練習に対する取り組み方が変わってきた。
古澤 鳥海選手の活躍はとても刺激になるし、負けたくないという気持ちが強いので日々のトレーニングをハードに行うようになりました。鳥海選手のほう二つ年下ですが昨年の12月から代表合宿に呼ばれてうまい選手とやっていく中、その選手たちと闘っていけるように早くなりたいという気持ちによって練習を鼓舞しています。自分も早く代表に選ばれるように練習を積んでいきたいと思っています。
―古澤はリオパラリンピック日本代表に内定したベテラン石川丈則の誘いで去年11月、それまで在籍していた横浜のチームから石川のいるパラ神奈川に移籍した。
古澤 上のレベルで闘いたいという気持ちがより強くなり決意しました。代表選手がいると空気も変わりますし、練習の真剣度もより高くなっていくと思います。日々の練習で石川選手からアドバイスをもらうことができてとても充実しています。
―その成果もあって、古澤は去年12月、日本代表の合宿に召集された。ジュニア代表とトップチーム代表の一番の違いとは?
古澤 日々のトレーニングや闘争心、気持ちの強さが数段違います。プレーしていても闘争心をすごく感じています。代表の選手との練習や試合をしていくうちに自分の中の課題や闘う武器を日々学んでいます。
―古澤に代表で一緒に練習した中で最も刺激を受けた選手を聞いてみた。
古澤 日本代表のボールハンドラーの香西選手のボールさばきや車椅子の操作はとても勉強になります。自分も香西宏昭選手のようなプレーができるようにといつも思います。アドバイスをもらうことができたり、一緒にやっていく中で目で見て覚えようと努力しています。
―古澤は日本代表の選手香西選手からどんなアドバイスをもらったのか?
古澤 今までもらったアドバイスの中で一番印象的なのは相手との間合いの保ち方です。ボールハンドラーとして相手に詰めすぎるわけでもなく、相手から離れすぎるわけでもなく、いつでも攻めれるぞという位置を見つけることが大切だと教えてくれました。
―いずれ自分も日本代表に、その夢を実現するために課題も見えてきた。
古澤 現在の自分の課題は強いドリブルで当たり負けしない体づくりと強いドリブルでボールを運ぶことが今の課題です。今、その課題を克服するために最近、ジムに行きはじめました。体づくりをこの一年より充実させていくことが大事だと思っています。まだ、目に見えては変わっていませんが、プレーしていると少しづつですが、体幹が強くなったと自分の中では感じてきています。まだまだ細いと言われるので大きくなったと言われるまで体を仕上げていくことがこれから大事なことだと思っています。
―現在古澤は神奈川大学人間科学科の2年生。社会福祉や心理学、スポーツ心理などを学んでいる。大学の授業が競技の役に立つことも多いそうだ。
古澤 競技の中でもメンタルがぶれてしまう時や緊張している時の対策など、心理学で学んだことが生かされています。
―クラスメイトたちは当然応援してくれているのかと思いきや
古澤 大学では自分が車椅子バスケットをやっているというのはあまり話さないようにしています。友人から聞かれないかぎり自分からは話さないです。シャイなので、東京パラリンピックの時に友達が出ていると気付いてくれればいいなと思っています。
―古澤に将来の夢を聞いてみた
古澤 将来的には国際的に活躍できる選手になることが目標なので、今は自分に必要な課題を一つずつつぶしていくことがその夢につながると思っています。香西さんや藤本さんみたいに海外で活躍できる選手になりたいです。車椅子バスケを見たことのない人ややったことない人、また、やっている方、全員に応援してもらえるような選手になりたいと思っています。
(2016年6月20日~6月24日放送分より)
『ニッポンチャレンジドアスリート』
ニッポン放送 毎週月曜~金曜 13:42~放送中
(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
番組ホームページでは、今回のインタビューの模様を音声でお聴き頂けます。