本日7月14日は47年前の1969年、森山良子の「禁じられた恋」がオリコン・チャートの1位を獲得した日である。
「この広い野原いっぱい」でデビューした2年2か月後の69年3月25日に発売された通算9作目のシングルが「禁じられた恋」だった。この曲の前にメリー・ポプキンの世界的ヒット曲「悲しき天使」の日本語カヴァーシングルが前年末に発売され(オリコン・チャート31位)大変好評だったので、次のオリジナル・シングル曲が彼女の勝負作品になるという予感があった。
しかし私が次回作の構想を練り始めている間に私には全く知らされずにこの「禁じられた恋」プロジェクトが極秘に進行していたのである。仕掛け人はどうやら邦人レコードのヒット企画にも素晴らしい実績のある某民放ラジオ局の敏腕音楽プロデューサー“O”氏で、今回は黛ジュンの実兄で歌謡界の俊英作曲家三木たかしと編曲家高見弘と組んだプロジェクトであった。作詞家には森山の作品を数作手掛けている山上路夫が起用された。(山上氏は渋々このプロジェクトに加わったと聞いている)。勿論、森山良子の原盤制作会社のボスと私の上司フィリップス・レコードのボスの合意のもとにプロジェクトは進行した。
森山良子のアーティストとしての方向性や本人の意思など全く関係なく、彼女を素材に兎に角売れ線のヒットシングルを作る目的で組まれた?プロのヒット曲請負人チームによる仕事である。此のプロジェクトによるスタジオの現場では森山本人はかなり面食らったようだ。生まれて初めて歌い方を99%細かく指示された上に、特に苦労したのがグリスダウンのような一種のコブシ廻しで中華歌謡風の旋律を歌うことを要求されたことでエスニック歌謡とでも呼べる特徴的なフォーク歌謡がそのサウンドからも感じられる。
全部で5曲このプロジェクトで作られシングルのA面には先ず「禁じられた恋」がそして次回シングル作として「まごころ」が選ばれた。私は森山良子のデビュー以来初めてレコーディング現場から外されてこれらの作品を客観的に聴く立場になったが、作品コンセプトや作編曲家の選定など私には全く考えられない発想で面食らったというのが最初の印象、そして思ったのが従来の彼女のユーザーがこの作品をどう受け止めるのだろうかという心配だった。事実この「禁じられた恋」が発売になると、何も事情を知らない森山贔屓の友人達や業界関係者等から〈本城さんは一体何を考えているの、良子ちゃんをどうするつもりなの、こんな曲を歌わせて彼女のファンが怒るよ〉と云った苦情が相次いだ。
会社は勿論超強力盤として大プッシュ、破格のラジオ・スポット量を出稿したものの何故かなかなかセールスに火が付かない。こんな筈ではと会社は死に物狂いで大量のラジオ・スポットを追加して打ちまくり(当時はまだTVスポットは考えられなかった)、本人のテレビ出演を必死にとる。ようやく発売して3か月目ぐらいからぼつぼつ売れ始めてきた。今までの学生フォーク中心の良子フアンではなく全国のテレビのお茶の間の歌謡フアンにこの歌は売れてきたのである。
そして7月14日付から9月1日付の8週に亘るオリコン・シングルチャートNo.1を獲得、森山良子のシングル盤売上げでは累計70万枚超と過去最高を記録した。この年のNHK紅白歌合戦に初出場して「禁じられた恋」を歌った彼女は第11回レコード大賞大衆賞を受賞、山上路夫は同作詞賞を受賞している。だがこのヒットのお蔭で今まで実績を挙げてきたアルバム・アーティストとしての彼女のパワーは確実に落ちた。
彼女は当初コンサート・ステージではこの歌は歌わなかった。コンサートに来る彼女のフアンも特にこの歌を望んではいなかったようだ。数年後彼女は考えを改めアレンジを変えてこの曲をステージ上のレパートリーに加えるようになった。現在では、今自分があるのはこの曲のヒットのお蔭、と歌うことに抵抗を感じることはないようだ。
「禁じられた恋」のヒットの間に私は『森山良子 アイドルを歌う』(4月)、『森山良子カレッジフォークアルバム』(6月)、『さとうきび畑/森山良子カレッジフォークアルバムNo.2』(9月)と3枚のアルバムを立て続けに制作発売し、それぞれが大ヒット、アルバム・アーティストとしての彼女の存在感をアピールした。そしてシングル「まごころ」の次のシングルとしてこの年12月にナッシュビル録音アルバムから「恋人c/w思い出のグリーングラス」をシングル・カットした。「恋人」は私がこの春に構想を温めていた企画を具現化した正統ポップス作品で、さすがに「禁じられた恋」という大衆歌謡には敵わなかったが、30万枚強の売上を記録(オリコン・シングルチャート4位)し何とか面目を施した。
それにしても「禁じられた恋」はテレサ・テンなど傑作歌謡曲の多い三木たかしの数多くの作品の中でも傑作の1つに挙げられる。偶々都はるみのカヴァーを聴いたことがあるが、矢張り森山良子の方がはるかに素晴らしい出来だった。ヒット曲請負人チームが作った見事に完璧な仕上がりによるヒット歌謡と謂えよう。
【執筆者】本城和治(元フィリップス・レコード・ディレクター)