1985年8月末、青山ビクタースタジオにてサザンオールスターズ、8枚目のアルバム『KAMAKURA』の6ヶ月続いたレコーディングが終わった。
この時期のサザンは、レコーディング以前の綿密な打ち合わせ、曲作りとリハーサルを積み上げてからスタジオ入りする。しかし、その予定の大半は変更、刷新され生き物のように進化成長してアルバムが完成する、という、これぞバンドマジックの作品作りであった。しかも、明るい。
レコーディング終了してスタジオでの打ち上げは、いつも朝方。階段の踊り場で焼肉パーティとなり、スタジオ中に煙が充満して大騒ぎになったり、スタジオ前の明治公園で大騒ぎしたり、とても話せない逸話は数え切れない。
「鎌倉物語」では、当時、妊娠していた原由子さんのボーカル録りを、自宅マンション横にテレコなど機材車を止めて階上の自室までマイクケーブルを引っ張り上げて慎重に録音した成果が優しい歌声に聴き取れる。
1978年の1stアルバム『熱い胸騒ぎ』から、順調に、毎年のアルバム発表を続けて、『KAMAKURA』は8枚目、8年目。これは、サザンにとっての大きな節目のアルバムとなり、その次作アルバム発表までは、4年半のインターバルとなった。
当初は、6月にアルバムをリリースして、7月から全国ツアーの予定だった。夏バンドとして定評だったサザンの定番コースである。が、しかし、レコーディング途中にて、大きく路線とアルバムコンセプトが成長変化して、しかも生まれる新曲が急増して、急遽、1枚ものからダブルアルバムに拡大変更。当然、リリース日も、9月に延期。全国ツアーは全てキャンセルされて秋以降にこれまた延期。それが許された、いい時代ではあった。
レコーディングが終盤に入ると、ラストスパート。複数のスタジオをキープして、ダビング、ミックスの並行作業となる。サザンメンバーのチームワークと個々の実力のなせる技である。明け方まで続くことも珍しくなくなり、ボクもスタジオ仮眠室に泊まり込み、朝は、お水系ネエちゃん見ながら、今は無き神宮プールでお風呂の代わり。今年のような、くそ暑い8月だった。楽しい思い出でもある。
ついに『KAMAKURA』が完パケして、アナログ1/2マスターテープ(1/4だったかも)を新小安ビクター工場まで持参。原則は、アルバム音源納入期限(デッドライン)は、リリースの90日前。『KAMAKURA』音源工場納入は、実にリリースの20日前であった。ジャケットデザイン、曲順、歌詞カード、クレジットなどは、完パケを待たずの先行作業。その名残り(しわ寄せ)が、ジャケット内のそこここに残っている。マスタリング&カッティングが終わり、その夜、やっと工場前の居酒屋で乾杯したのを、朦朧だったけど、鮮明に覚えている。
ダブルアルバム『KAMAKURA』レコーディングは、事前準備を経て、1985年3月初旬から8月下旬まで。新しいアイデアを具現化するべく、サザンメンバーに加えて、ゲストミュージシャンは40人余り、エンジニア&スタジオスタッフは10人余り、デザインスタッフ、マネジメント&レーベルスタッフは数知れず。気がつくと、膨大な人数のチームカマクラに支えられて、名作アルバム『KAMAKURA』は誕生した。
9月14日、『KAMAKURA』発売日当日、いつものようにレコード店頭に立った。ずしりと重い2枚組レコードを手に、大きな声でお客さんを呼び込んだ。初めてのレコードが売れた時、ボクは初めて、泣いた。
【執筆者】高垣健