猪木さんとの出会いは1988年、参議院議員になられる前。モスクワを訪れる猪木さんのアテンドをするように言われたのが最初です。
猪木さんのアテンドを大使館の他の人たちが怖がって、官僚の物理の法則でどんどん下に流れて、第3等書記官だった私に役目が回ってきたのです。
最初に猪木さんから「このホテルに来てくれ」と連絡があったのですが、そのホテル、名前も知らないし、言われた場所に行っても何もない…。すると、猪木さんが居たのは秘密警察(KGB)のホテルで、外観は普通の民家だけれど、中に入ると超高級ホテルという場所でした。
猪木さんに連れられてホテル内の食堂に行ったら、丼にキャビアが山盛りに乗っていて、当時は貴重な高級ウォッカも山ほどあって、猪木さんが秘密警察の人たちと酒盛りをしている最中でした。
秘密警察の人たちにとって格闘技は必修です。当時プロレスはブルジョワ社会の商業スポーツということで、観ることも禁止されていたのですが、「アントニオ猪木対モハメド・アリ」の試合は、裏で16ミリフィルムが流通していて、秘密警察の面々も観ていて、猪木さんは彼らの憧れの存在だったのです。
ですから猪木さんはソ連時代から独自のルートを持っていました。
猪木さんは、毎朝、バットか棍棒のようなものを私に渡して、「これでスイングして、俺の腹を思いっきり叩け!」と言うんです。
腹筋を鍛えるためなのですが、毎朝50回はやりました。たまにタイミングがズレすると「佐藤さん、痛いよ…」なんて言ったりする(笑)
当時、エリツィン大統領の側近にシャミール・タルピシチェフという大物政治家がいて、誰が面会を希望しても会えなかったのですが、私が「猪木さんが面会したいと言っています」と伝えるとすぐにOK。彼が格闘技好きなのは知っていたので猪木さんの協力で面会できました。
タルピシチェフを猪木さんと私がつないだということで、その後、クレムリンの出入りが自由になりました。それが人脈を作る上で非常に役に立ったことから、外交官・佐藤優を作る上において、アントニオ猪木という人は恩人なのです。
(高嶋ひでたけが休暇のため、ピンチヒッターパーソナリティ佐藤優が担当)
11月17日(木) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」