1年間王者を決めるJリーグチャンピオンシップ決勝第1戦が29日、茨城・カシマスタジアムで行われ、浦和(年間勝ち点1位、第2ステージ優勝)が、鹿島(年間3位、第1ステージ覇者優勝)に先勝しました。
昨日は鹿島のホームとはいうものの、観客のほとんどが浦和のサポーター。まるでホームのような雰囲気でした。
決勝点のPKを決め、マン・オブ・ザ・マッチに輝いた阿部は、
「まだ、何にも決まっていない。12月3日、埼玉スタジアムで勝って終わりたい」
とより一層、イレブンを引き締める。ただ、過去10回、ホーム&アウエー方式でチャンピオンシップは開催されていますが、引き分けなどを除けば、いずれも先勝したチームが年間チャンピオンに輝いています。
阿部は千葉県市川市出身。幼少時からサッカーをはじめ、小学6年生で市原のユースチームへ合格。16歳でJ1デビューを果たし、俗にいうサッカーエリート。ポジションは守備的MFで派手さには欠けますが、右サイドバック、リベロなどを器用にこなすユーティリティープレーヤーで、監督からは絶大な信頼を得ています。
中でも、2003年、イビチャ・オシムさんが市原の監督になると、当時21歳の阿部をキャプテンに指名。守備一辺倒だったスタイルが、前線へ顔を出す積極性が加わりました。そして、さらなる高みを目指し、2007年に浦和へ移籍。10年南アフリカワールドカップでは、アンカーとしていぶし銀の活躍を披露しています。
その後は、イングランド2部時代のレスターシティ―でプレー。3年契約の2年目、「家族と過ごす時間がほしい」と、古巣の浦和へ復帰しました。ペドロビッチ監督からの期待は大きく、移籍即、キャプテンに指名されました。以来、5年間、不動の地位を築いています。
昨年3月、アジアチャンピオンズリーグ2連敗で激怒するサポーターの前で、「まずはひとつ勝ちます。一緒に戦ってください」と頭を下げ、日本一熱狂的で過激な軍団から、大変な人気を勝ち得ています。千葉出身でしかも移籍組ながら、ミスター・レッズとなりました。
阿部は3年連続で全試合出場。途中交代もありません。
「サッカーをやりすぎて、死ぬことはない。休むのは現役を引退してからです。もっとも、これは、オシムさんの言葉だけど…」。
今春の鹿児島・指宿キャンプでは18日間、すべて浦和は守備練習に大半を費やした。阿部を中心に堅い守りのチームに磨きをかけるためです。そんな事情があるだけに、
「優勝を目指すため、レッズにかかわるすべての人が、同じ方向を向いていきましょう」
と、何度も繰り返しています。もっかの監督はペドロビッチさんでも、
「体の中心には常に、オシムさんがいる」
と話しました。
最近、そのオシムさんから手紙が届いたそうです。『阿部が頑張っていると聞いたから、てっきり、監督として? と思った。いつも君を見ている』―そんなユーモアがあふれる内容だったそうです。
11月30日(水) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」