1976年12月20日、加藤和彦のサードアルバム『それから先のことは…』が発売された。
前の年、彼はサディスティック・ミカ・バンドでイギリス・ツアーを実現していたが、その成功の代償でもあるかのように、ミカ夫人との離婚、そしてバンド解散に見舞われていった。
帰国後、加藤和彦はまったく仕事をせず、世捨て人のように過ごしたという。外から見ればまさに挫折の姿と映っただろう。けれど、その間に運命的ともいえる安井かずみとの出会いがあり、彼女との生活、そして旅があった。そんな日々の中から新たな創作に向かう機運が育まれていった。そうして生まれた『それから先のことは…』は、どちらかと言えば、脚光を浴びたサディスティック・ミカ・バンドと“ヨーロッパ三部作”の間に、ひっそり世に送り出されたアルバムという印象が強かった。
けれど、彼のアルバムを何度か聴きなおしていくうちに、次第にこのアルバムに惹かれていった。きらびやかさ、華やかさはないけれど、アルバム全体に素の彼を感じているような気配がある。安井かずみが勝手に書いた詞に、加藤和彦が思いつくまま曲をつけてできあがったという10曲からは、裸の加藤和彦というのは言い過ぎなのだけれど、普段着でくつろいでいる彼のカッコよさがにじみ出てくる。それはほかのアルバムからはあまり感じられない空気感だった。そんな感覚を確かめようとかなり後になって尋ねたことがある。彼はこう答えた。
「今までプライベートアルバムって、それ一枚しか作ったことないのよ。完全にいわゆる私小説アルバム」
もちろんプライベートと言っても、加藤和彦のプライベートは一味違う。それはこのアルバムのサウンドにも表れている。70年代中頃は海外レコーディングが注目を集め始めた時期であり、そのほとんどがロサンゼルスで行なわれていた。しかし、加藤和彦はロサンゼルスやニューヨークではなく、アラバマのマッスル・ショールズを『それから先のことは…』のレコーディング場所に選んだ。しかも、これが彼にとって初のアメリカ・レコーディングだったのだから、やはり只者ではない。
今でこそ、アメリカン・ミュージックの聖地のひとつにもなっているマッスル・ショールズだけれど、当時、その存在を知っていたのはほんの一部の音楽マニアだけだった。ポール・サイモンの『ひとりごと』のようなテイストをもったサウンドが欲しい。そのためにはそのレコーディング・スタジオに行くのがいちばん手っ取り早く、確実でもある。加藤和彦はキーボード奏者バリー・ベケットにアレンジを委ねて、自分は気楽なポジションに降りて、レコーディングを楽しんでいたようだ。
「シンガプーラ」から始まる10曲。どれもマッスル・ショールズのミュージシャン達による軽快で暖かな手触りのサウンドが、加藤和彦の歌を彩っている。そんなさり気なさの中に、加藤和彦ならではの味わいがレアな状態で伝わってくる。
僕が、『それから先のことは…』にとくに惹かれてしまうのは、加藤和彦の“それから先のこと”を知っている僕にとって、このアルバムが彼の人生における陽だまりのように感じられるからなのかもしれない。
【執筆者】前田祥丈(まえだ・よしたけ):73年、風都市に参加。音楽スタッフを経て、編集者、ライター・インタビュアーとなる。音楽専門誌をはじめ、一般誌、単行本など、さまざまな出版物の制作・執筆を手掛けている。編著として『音楽王・細野晴臣物語』『YMO BOOK』『60年代フォークの時代』『ニューミュージックの時代』『明日の太鼓打ち』『今語る あの時 あの歌 きたやまおさむ』『エゴ 加藤和彦、加藤和彦を語る』など多数。