またいつか一緒に相撲をとりましょう!元小結・時天空(間垣親方) 享年37歳 スポーツ人間模様

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悪性リンパ腫のため1月31日、37歳でなくなった元小結・時天空の間垣親方の告別式がきのう7日、東京・墨田区の回向院で営まれ、約400人が参列しました。
弔辞を読んだのは、年下ながら兄弟子の豊ノ島。

「4歳上だった弟弟子が、年下のチビには負けられない、とけんかのようなけいこをしたから、関取にまでなれた。またいつか一緒に相撲をとりましょう」

と述べ、参列者の涙を誘いました。

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【2015大相撲秋場所7日目】時天空 =2015年9月19日 東京・両国国技館 写真提供:産経新聞社

出身は、モンゴル、ウランバートル。よく、モンゴル人力士はハングリー精神を活力として、いわゆる一旗揚げるために相撲界へ飛び込むケースが圧倒的です。

ところが、間垣親方の場合は少々、事情が違いました。モンゴル国立農業大学在学中、交流留学生で来日。東京農業大では国際食料情報学部に在籍します。当初は、帰国してその経験を生かして教職へつくルートが敷かれていました。ところが、かつて、モンゴルでともに柔道を学んでいた朝青龍などが大活躍。さらに、自身も東農大で相撲部へ入部していたことから、大相撲に大いに興味がわいてきた。

大相撲に進むか、教職を選ぶか、人生最大の二者択一に相当、悩んだといいます。入門には23歳という年齢制限がある。そんな中、相撲部の安井和男監督のすすめ、同校OBで先々代・時津風親方(大関・豊山)の誘いもあり、在学中に大相撲への転身を決めました。

2002年7月場所の前相撲で初土俵を踏み、一番出世を決め、翌9月場所から3場所連続の全勝優勝を飾るなど、所要12場所で新入幕を果たしたのは当時の史上最速タイ記録です。

一方で、力士だけではなく、大学は夜間コースへ転籍。土俵生活を続けながら、日本語で執筆した卒論などを提出して04年3月、ちゃんと卒業しています。

不調を訴えたのが15年の7月場所。右わきに痛みが走り、11月場所では右肋骨骨折で休場します。が、悪性のリンパ腫が見つかっていた。病室では身内だけで断髪式を行ったそうです。

16年1月、やむなく師匠の時津風親方が闘病中であることを公表。一時は快方へ向かったものの、8月には現役引退を発表しました。同時に間垣親方として後進の指導へあたることも理事会で承認。指導者の道を目指しましたが叶わず、昨日、参列した400人余りが沈痛な思いで時天空に別れを告げました。

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2月8日(水) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」

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