すでに初優勝が決まっていました。ただ、千秋楽で横綱白鵬を破ったことで、横綱昇進が間違いなしとなった稀勢の里。八角理事長が横綱審議委員会へ諮問し、きょう23日の定例会合で承認を受けます。そして、25日の理事会で正式に第72代横綱が誕生する流れになるでしょう。
日本出身横綱の誕生は19年ぶり。以前は珍しくはなかった、中学を卒業しての叩き上げ横綱は、23年ぶりになるそうです。
中学時代は野球部に所属。地元の名門、常総学院から特待生の誘いがあった。体が大きいだけではなく、脚も速い。一方で、鳴門親方も必死にスカウトを続けたそうです。
どうしたらいいか。稀勢の里が選んだのは相撲。なぜ、野球をあきらめたのでしょうか。当時、90キロ以上の体重があり、「高校で野球をするなら、減量しなくてはいけない」。意外なほど、単純な理由でした。そうは言っても、母、萩原裕美子さんによると、「(鳴門)親方へおまかせすれば、息子は心配ない」。まさにその通りでした。
裕美子さんは、こんな本音も漏らしていました。「願わくば、大関のままでいてほしいと思います」。意外な言葉の裏には、こんな意味が込められていたのです。「ずっと、大関でいられたら、その方が楽だと感じます。でも、お世話になった皆さんに恩返しをしなくてはなりません。だから、横綱です」。
序ノ口時代から、両国国技館で行われる年3場所は、取り組みがあるたびに足を運びました。もちろん、本人には内緒。自由席だったそうです。それが幕下に上がるとやめたのは、「テレビ中継がある」。誰よりも必死に声援をおくってきたことがわかるようです。
「15歳で家を出ていって以来、(私の)誕生日、母の日でも祝ってくれたことはありません。電話があっても、二言、三言のおしゃべりですぐに切ってしまいます」。これまた、不器用な稀勢の里らしいエピソードです。
昨年は琴奨菊の優勝で湧いた初場所。1年経ち、その景色は稀勢の里へと変わりました。7度目の綱取りでようやく、悲願を達成。すべてはこれからです。
1月23日(月) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」