レジェンドをたたえる。プロ野球って、いいなぁとしみじみと感じました。
1977年、巨人・王が756号の本塁打世界記録を樹立し、今年は40周年。
達成したのは9月3日でしたが、昨日、ソフトバンクとの交流戦で王会長を迎え、記念イベントが行われました。
当時を振り返り、
いろいろなことに燃えていた。バカみたいに練習をして、いろいろなことに熱くなっていた。
と語っています。77年の人生は
いつも何かに導かれているようだった。
とも言います。
小学生時代は、横綱の吉葉山から、力士になれとすすめられ、中学時代は野球の他に、卓球、陸上までスポーツ万能でした。
しかし、父の仕福さんは、教育に熱心でスポーツよりも学問で身を立てることを望んでいたようです。
で、進学校として有名だった、都立隅田川高を受験。ところが、失敗して早稲田実業へ入学しています。
あれが、すべての始まり。
と王会長は話していました。
お兄さんは医師で学業優秀、家庭内では肩身が狭く内気な少年だったそうです。
ぼくの人生は、いいことなんて、これっぽっちもないよ。
と冗談まじりに漏らすこともあります。
運命を変えたのは、やはり甲子園。
高校3年時、巨人を除く、プロ全球団が王家へ日参したといわれます。
実は、いの一番で訪れたのは、巨人のスカウトでした。
でも、父の仕福さんは
貞治は、大学へ行かせます。
と王会長が知らない間に断ってしまったとか。
それだけに、そんな経緯を知らなかったのです。
また、仕福さんは、仮にプロ入団でも、
巨人は大卒が多い。だから、阪神がいい。
とも。
一家の長がそういえば、従うのが当然。
流れを変えたのは、兄の鉄城さん。
王会長へ、
自分の気持ちを言ってみろ。
小さな声で
巨人へ行きたい。
と何度目かの家族会議で口にしたのです。
ぼくの時代、東京の下町はみんなが巨人ファン。
赤バットの川上さんにあこがれない人はいなかった。
この頃、巨人はポスト川上を育てることが急務だったわけで、打者の左は王、右は末次がその候補でした。
対照的に、阪神は、王獲得でエースを、という狙い。
なるほど、運命に導かれていたことがおわかりでしょうか。
巨人入団時の契約金は1,800万円で、長嶋と同額。
期待の高さがうかがわれます。年俸が144万円。
大学卒の初任給が1万3,000円の時代ですから、驚くような大金でした。
そうはいっても、自身は現在もお金については淡泊で、
野球でお金儲けをしようとは、1度も考えたことはない。
野球が好きだからね。
金儲けのためにプレーした選手は誰も大成しません。
と断言しています。
そして、人生の進路で迷った際、
これは無理だ、という方を選んだほうがいい。
とアドバイスします。
6月15日(木) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」