いつも走ってる――ビートルズの初主演映画『ハード・デイズ・ナイト』のイメージを一言で言ったら、こんなふうになるだろうか。
まだアルバムを2枚しか発表していないイギリスの「新人」バンドなのに、ほぼデビュー1年後に主演映画も制作されるのだから、ビートルズは当時すでにイギリスでは最も人気のあるグループになっていた、ということだろう。とはいえ、いまじゃ信じられないけれど、ブームは一過性のものと見られていた。これはビートルズに限ったことではなく、売れるアイドルが出てきたら、商品として稼げるだけ稼ごうとプロの商売人が群がってくる。アメリカの「エンターテインメント業界」から見れば、いつ消えていなくなるかわからない存在でもある。予算56万ドル足らずのモノクロ映画というのは、妥当な判断だったに違いない。
思うに、ビートルズはいつも運を味方につけていた。この時も低予算のモノクロ映像で、人前で演技するのももちろん初めて。そうした安手の「素人くさい」作品として仕上がったのが、結果的に大きな効果を生んだ。日常そのままの4人のありのままの1日が生き生きと描かれた作品となったからだ。
50年代半ばにイギリスに移住したアメリカ人のリチャード・レスターがアメリカ人のプロデューサー、ウォルター・シェンソンの依頼で監督を務め、脚本はリヴァプール出身のアラン・オーウェンが手掛けた。監督のリチャード・レスターが、彼らの魅力を肌で理解していたのも良かった。レスターはこんなふうに言っている。
「映画はその時代を映す鏡なんだ。僕の前には、映すのにもってこいの素晴らしいイメージがあった。彼らのエネルギーと独創性だ」。
こうして映画制作は、 64年3月2日から4月24日にかけて、彼らの同名のサード・アルバムのレコーディングと並行して行なわれた。撮影の合間に急遽必要になった映画のタイトル曲は、リンゴのつぶやきをヒントにジョンが書き上げ、4月16日にレコーディングされた。
映画『ハード・デイズ・ナイト』は、64年7月6日にロンドンのパヴィリオン劇場で初公開された。ロンドンで行なわれるテレビ・ショーに出演するビートルズの2日間をドキュメンタリー・タッチで追ったこの瑞々しいモノクロ映像作品は、日本でも同年8月1日に公開された。当時の邦題は、もちろん『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』である。
結果的に、イギリスならではの風刺・諧謔・ユーモアをまぶした内容は、セリフや性格を含めてビートルズの4人を等身大に伝えているかのように観る者には伝わった。スクリーンに飛び込もうとするファンが続出したという話は日本でもニュースとして報道されたが、それは、インターネットで気軽に動画を楽しめるような時代ではなく、情報すら伝わるのが遅い64年当時情報、「動く生身の4人」を観られた衝撃がどれほど大きかったかを物語るものでもあった。
そして64年 、まさに“A Hard Day's Night”を地で行くような1年間を体験した“England's Phenomenal Pop Combo”(イギリスで社会現象にまでなったポップ・コンボ)は、アメリカで最初の頂点を迎えたのだった。
【執筆者】藤本国彦(ふじもと・くにひこ):CDジャーナル元編集長。手がけた書籍は『ロック・クロニクル』シリーズ、『ビートルズ・ストーリー』シリーズほか多数、最新刊は『GET BACK… NAKED』(12月15日刊行予定)。映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』の字幕監修(ピーター・ホンマ氏と共同)をはじめビートルズ関連作品の監修・編集・執筆も多数。最新刊は『ビートルズ語辞典』。