GSの祖とも言うべきスパイダースやブルー・コメッツのような自作自演組と異なり、1967年以降にデビューしたGSのほとんどは、職業作家たちからの提供曲をシングル用にレコーディングしていたわけだが、中にはバンド本来の音楽性とはかけ離れた旧態依然の歌謡曲も多々あった。GSにとって本領発揮の場は、自分たちの音楽的ルーツとも言うべき洋楽レパートリーを思う存分演奏できるジャズ喫茶や日劇ウエスタン・カーニバル等のステージであり、必然的にライヴでは演奏する側も観客も熱気を帯び、GSブームの凄まじい熱狂と興奮を形成していったのである。
スタジオ録音シングル盤だけでは検証できないGSの本質的魅力を現在に伝えてくれるのが、当時のステージの模様を収めたライヴ盤(当時は「実況録音盤」と呼ばれた)だが、数あるGSの中で、現役時代に単独ライヴ・アルバムを残すことができたのは、タイガース、ゴールデン・カップス、ブルー・コメッツ、オックス、ワイルド・ワンズ、バニーズ、モップス、そしてテンプターズぐらい。モップスの場合、GSブーム終焉後の70年代の録音なので、GS黄金期の熱狂を伝えるライヴ盤を残せたのは7組だけということになる。
そんな数少ないGSライヴ・アルバムのひとつが、今から48年前の今日1969年7月25日にリリースされたテンプターズ唯一のライヴ・アルバム『ザ・テンプターズ・オン・ステージ』で、69年4月20日、東京厚生年金会館大ホールに於いて開催されたテンプターズ・ファンクラブ例会イベントでのライヴの模様が収録されている。すでにGSブームは終息に向かっていた時期にもかかわらず、オープニングの「テンプ・コール」の凄まじい嬌声からエンディング「涙のあとに微笑みを」の感動的な大合唱まで、テンプターズ・ファンの熱狂ぶりには些かの衰えも無かったのがこのアルバムから窺える。
当日テンプターズが演奏したのはメドレーを含めて全27曲。その中から、お得意のストーンズ・ナンバー「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」「サティスファクション」をはじめ、テンプターズのブルース・ロック・バンド的側面を披露したアニマルズ・ナンバー(オリジナルはジョン・リー・フッカー)の「モーディー」、バニラ・ファッジ(オリジナルはシュプーリムス)の「キープ・ミー・ハンギング・オン」など、これまで未レコード化の洋楽レパートリー15曲と、唯一のオリジナル曲「涙のあとに微笑みを」の計16曲が収録されている。
松崎由治が歌う「太陽を探せ」(デル・シャノン)、田中俊夫の「ジェラルディン」(ブーツ・ウォーカー)、大口広司の「自由になりたい」(モンキーズ)、高久昇の「ノー・タイム」(モンキーズ)など、ショーケン以外のメンバーたちのヴォーカル曲も収録。実に多種多様な音楽性を持つレパートリーだが、それらが何の違和感なく自分たちのサウンドとして昇華されているところは、テンプターズに限らず当時のGSの評価すべき一面だろう。
興味深いのはタイガースもデビュー・ライヴ・アルバム『ザ・タイガース・オン・ステージ』に収録していた「ローリング・ストーンズ・メドレー」をテンプターズも取り上げていること。両者ともストーンズのライヴEP『GOT LIVE IF YOU WANT IT』(65年)収録のヴァージョンをベースにしているものの、タイガースが独自に「アイム・オーライト」を付け加えていたのに対抗し、テンプターズはストーンズのライヴ・ヴァージョンに倣った「レディー・ジェーン」を加えている。
そんな人気GS同士の激しいライバル意識さえリアルに伝えてしまう、このライヴ・アルバムは、まさにGS時代の熱狂と本質を現代に伝える音の歴史ドキュメンタリーと言えるのだ。
【筆者】中村俊夫(なかむら・としお):1954年東京都生まれ。音楽企画制作者/音楽著述家。駒澤大学経営学部卒。音楽雑誌編集者、レコード・ディレクターを経て、90年代からGS、日本ロック、昭和歌謡等のCD復刻制作監修を多数手がける。共著に『みんなGSが好きだった』(主婦と生活社)、『ミカのチャンス・ミーティング』(宝島社)、『日本ロック大系』(白夜書房)、『歌謡曲だよ、人生は』(シンコー・ミュージック)など。