この6月7日、とても素敵なCDがリリースされた。タイトルは『今日までそして明日からも、吉田拓郎 tribute to TAKURO YOSHIDA』。多彩なミュージシャンがつどって、吉田拓郎の名曲の数々をうたったCDだ。
参加メンバーがすごい。驚くぞ。ちょっと挙げても井上陽水、THE ALFEE、德永英明、ポルノグラフィティ、鬼束ちひろ、一青窈、それになんと寺岡呼人feat.竹原ピストル。この企画にこの人なら納得、というミュージシャンもいれば、エッ!?と意表をつかれるミュージシャンまで、実に多彩。ほかにもどんなミュージシャンがつどったか、そして彼ら彼女らは吉田拓郎のどの歌をどんなふうにうたっているのか、ぜひご自分の目と耳で確かめてほしい。
そしてそんなCDのトップを飾っているのは誰か。音楽好きにこんなクイズを出したら、これはかなりの正解率になるだろう。そう、奥田民生。うたうは「今日までそして明日から」。
「今日までそして明日から」は吉田拓郎(当時は、よしだたくろう)の3枚目のシングルである(初出は70年11月発売のデビュー・アルバム『青春の詩』)。発売日は1971年7月21日。つまり、吉田拓郎のキャリアで重要なポイントとなった、ユイ音楽工房の設立(71年10月)、パックインミュージックへの登場(71年10月)、エレックレコードからCBSソニーへの移籍(72年1月)、あるいは、第3回全日本フォークジャンボリーの"「人間なんて」事件"(71年8月)の、まさに"前夜"に、この歌はリリースされた。彼のなかで、あるいはファン達の心の中で、マグマが臨海に達していた時期だ。だからこそ、とりあえずシングル・リリースの権利を獲得したCBSソニーは、あまりシングル向きとも思えないこの曲をリリースしたのだろう。前月にリリースされたライヴ盤『ともだち』の好評も背景にあったはずだ。
そんな"大人の思惑"は残念ながら実ることはなかったが、"爆発"は次のシングルで起こる。それも強烈な爆発だった。すべての歯車が絡み合い、超高速で回転し始めた。「結婚しようよ」である。
ぼくにとってこの歌は、初めてアルバム『青春の詩』で聴いた18歳のころから、正直に言ってそれほど思い入れの深い歌ではなかった。その後ライヴで様々なアレンジをほどこされたバージョンを聴いても。
この曲のような思索的、あるいは哲学的と言ってもいい歌は、初期の歌では例えば「イメージの詩」や、究極の歌「人間なんて」が挙げられるが、この歌には「イメージの詩」のようなたたみかけてくるイメージの奔流はないし、「人間なんて」のような祝祭性、呪術性もない。「なんだか、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』みたいな歌だなあ」と、思ったのをよく覚えている。
それが……それが変わったのはいつごろからだったか。そしてそれは、なぜなのか、定かではない。しいて言えば、「歳を重ねた」ということなのだろう。少し悲しいけれど。
1972年に発行された『新譜ジャーナル別冊 よしだたくろうの世界』に掲載された「今日までそして明日から」の楽譜に、こんなメモが付されている。
拓郎:LP用に(青春の詩)つくった曲なんだけど、最近わりと気にいっている。
浅沼:50才すぎたオジサンが楽屋に来たね、この唄を聴きに……。
拓郎:あれはオドロイタのです。感激したのであります。
(原文ママ・浅沼氏は当時の吉田拓郎のプロデューサー)
歳をとったら、静かに、おだやかに、何にもわずらわされることなく、ゆったりと過ごしていけるものだと思っていた。けれど、どうやらそんなものではないらしい。いまだにぼくは、いつも何かにいらだち、おびえ、相変わらずヒリヒリとしながら、日々をおくっている。そしてそんなぼくの心に、この歌はいま、静かに、水のようにしみ入ってくる。
「今日までそして明日から」は、まぎれもなく吉田拓郎の"原点"の1曲である。
「青春の詩」「よしだたくろう・オン・ステージ!!ともだち」エレックレコード
「今日までそして明日から」:写真提供 ソニー・ミュージックダイレクト
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【筆者】大越正実(おおこし・まさみ):1953年、東京生まれ。ながく出版社に在籍し、多数の書籍・雑誌を手がける。元『シンプジャーナル』編集長、現『種牡馬事典』編集長。