女子テニス・伊達公子 ワタシ流を貫き通した現役生活
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ついに、その日が到来。女子テニスの伊達が27日、自身のブログで、「伊達公子、再チャレンジにピリオドを打つ決断をいたしました」と現役引退を発表しています。いくら強い精神力を誇っても、故障には勝てなかった、ということでしょうか。昨年1月の全豪オープン予選の後、2月に半月板縫合手術、4月は軟骨移植手術を経て今年、下部ツアーで1年4カ月ぶりの復帰を果たしています。しかし、今度は肩の故障が…。満身創痍とはこのことです。
現在は実質、世界ランクには入っていない状況。昨年の全豪オープンは、187位でした。でも、この順位ではグランドスラムに2回の予選出場ができるだけ。ランキングをあげるために、世界中、小さな試合を転戦しながら勝っていかなければなりません。自身の勝負哲学は、「出場するからには、5試合戦う」。要は、決勝まで戦う体力と気力を持ち続けることです。「1試合でも多くやろう」と、トレーナーなどから励まされ、リハビリを続けてきましたが、こうまで次から次へと故障が発生するのは、46歳という年齢的な衰えは否めません。
日本女子の黄金期といえば、伊達に加え、沢松奈生子、杉山愛などが出てきた90-00年頃でした。高校3年で「プロになる」と宣言した伊達は両親から、「女性は家庭に入って幸せをつかんでほしい」と止められたそうです。沢松、杉山と違い、伊達は普通のサラリーマン家庭に育っています。当時、テニスはまだ、裕福なお嬢様のスポーツでした。
とはいえ、頭が下がるほどの反骨心の持ち主。
「プロになってから、自己主張しなければ生きてはいけない」
と、とにかく頑なまでにワタシ流を貫き通しています。記者会見なども、意に添わなければ、打ち切ってしまい、報道陣と冷戦状態。試合中、伊達へ声援をおくるファンへ対しても、
「集中力がそがれる」
とクレームをつけるなど、さまざまな、イヤな人伝説がある。
一方で、大和ナデシコらしい、いろいろなこだわりも。
「きれいな文字を書きたい」
と、プロ転向後もペン習字に通いました。01年12月、ドイツ人のレーシングドライバー、ミハエル・クルムと結婚(16年9月離婚)。そのクルムと街を歩く際、いつも伊達はうしろからで、肩を並べることはありません。つまり、日本の女性は三歩下がって-を実践していたというエピソードも…。でも、クルムが、
「女性である前に、同じ人間だろう」
と諭した話もありました。
世界ランクの最高は、95年の4位ですが、グランドスラムで印象深いのは、96年のウインブルドン準決勝。日没順延で2日間にわたって行われた、女王グラフとの戦いです。この年の9月、ランク8位で1度目の現役引退を発表。ボールの上がり目を叩く、ライジングショットはとにかく素晴らしかった。
ラストゲームは9月11日に開幕するジャパンオープン。主催者推薦で出場予定です。
「若手に刺激を与えたい」
と現役復帰したものの、刺激を与えた選手は皆無の状態。ラストゲームでどんなメッセージを残すのでしょうか。
8月29日(火) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」