握りしめた10円玉が温かくなった 駄菓子屋ゲーム博物館
公開: 更新:
それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
博物館は、お好きですか?ひと口に博物館といいましても、都内だけでも実にいろんなものがあります。豊島区目白の「切手の博物館」、文京区根津にある「大名時計博物館」、渋谷区代々木の「刀剣博物館」、大田区南久が原の「昭和のくらし博物館」、中央区日本橋の「凧の博物館」・・・まだ、言いますか? もう、いい?
さて、今日ご紹介するのは、 都営三田線板橋本町駅から歩いて5分。板橋イナリ通り商店街にある博物館で、その名も『駄菓子屋ゲーム博物館』!40代から50代の人なら遊んだ覚えがあるでしょう。
よく駄菓子屋さんの店先に置いてあった10円玉で遊べるゲーム機です。10円玉か10円分のメダルを入れて、ゴールすると当たり券が出て来る!その当たり券を好きな駄菓子と交換する。学校が休みの日は、10円玉を握りしめた子どもたちの行列ができたものです。そう言えば今の子どもたちに、握りしめた10円玉が温かくなるという感覚が分かるんでしょうかね?
さて、この『駄菓子屋ゲーム博物館』には、いろんな種類のゲーム機が、ズラリと57台!「出していないものが60台以上ありますから、合わせて120台ですね」と、やや誇らしげに言うのは、館長の岸昭仁さん、49歳。
すべては、岸さんが個人的に集めたコレクションだといいます。元はソフトウェアのエンジニアだった方で、電子回路を使ったゲーム機の修理も、お手のものだそうですから、何とも頼もしい。
「高度なテクニックが必要なもの、運だめしのようなものと様々ですが、誰にでも遊べるので楽しいですよ」
さて、岸さんと駄菓子屋ゲーム機の出会いは、岸さんが、小学校5年生の時までさかのぼります。そのゲーム機は、駄菓子屋さんではなく米屋さんの前に放置されていました。足をハズされ裏側にされ横倒しになった何ともみじめな姿・・・。
昭和50年代頃、10円玉ゲーム機は親子ずれの客をターゲットに、米屋さん、肉屋さん、スーパーマーケットの前にも、よく置かれていました。役目を終えて廃棄されようとしているゲーム機を見て、昭仁少年の心は騒いだといいます。
(あれ、捨てちゃうのかなぁ? 欲しいなぁ? おじさんに頼んでみようか?やっぱやめた! ほしいなんて言えない。でも・・・欲しい!あれ、おじさんがいなくなった! あ、来た、どーする?)
心の中でブツブツつぶやきながら、店の前を行ったり来たり・・・。店の中に入ったり出たり・・・。それを1時間近くも繰り返したといいます。そして、全身の勇気をふり絞って出した声!
「す、すみません」
「はい、いらっしゃい」
「あ、あのう、おもてのゲーム機、使わないんなら、もらえませんか?」
「いいよ、持ってく?」
どっと体の力が抜けました。乗って来た自転車の荷台にゲーム機をくくり付け、ペダルを漕いだときのワクワク感、天にも昇る心地を、岸さんは今も忘れないといいます。
この体験をキッカケに、小学校時代に5台のゲーム機を入手したという岸さん。道端でパチンコ台を拾ったこともあるそうです。中学へ入ってから、この収集癖はますます拍車がかかり、店の人との交渉もうまくいくようになりました。中古のゲーム機に法外な値段を付けて、ふっかけるような悪い大人はいなかったのか?「そんな人はいませんでした」というのが、岸さんの答えです。それどころか、リースのゲーム機を、業者が引き取りに来ないから、「持ってっていいよ」という店もあったとか!
パソコンやスマートフォンのゲームでは、息子に歯が立たないお父さんも10円玉ゲーム機の前では、昔取った杵柄!「そんなに強くハジいちゃダメダメ! そぅーっとやらなきゃ」と、面目躍如の面持ち・・・。変わったオーダーとしては、テレビドラマや映画の小道具として引き合いが多いこと。
10円玉ゲーム機の未来は、まだほんのりと明るいようです。
上柳昌彦あさぼらけ 『あけの語りびと』
2017年11月9日(水) 上柳昌彦 あさぼらけ あけの語りびと より
朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ
番組情報
眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ