それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
朝、目が覚めた瞬間、あるいは、ランチタイムで外へ出た時、「あ! 今日はアレが食べたい!」と、ひらめくものがあります。たとえば、カツカレー・・・。なぜか時々、無性に食べたくなるものの一つが、カツカレーです。
カツカレーを名物とする店が、祐天寺のカレー専門店「ナイアガラ」です。カウンター席が3つとテーブルが3卓のこじんまりとした店に漂ういい香り。国産のカレー粉とインドのギーオイル、そして2時間煎った小麦粉を使った独特の風味のルーに、大きなヒレカツをのせたカツカレーは、トロッとしたジャガイモの風味が懐かしいと評判の「昭和の味」です。
考案したのは、昭和31年から「東急ゴールデンホール」でコックの修業を積んだ内藤博敏さん。内藤さんは、この店を開店して54年目の今年の春、81歳で他界してしまいましたが、その味は、若い成田湖葉里さんたちがしっかりと受け継いでいます。湖葉里さんは振り返ります。
「この店のアルバイトを始めたのは、二十歳のとき。もう5年になります。駅長は、お客さまにも私たちにもニコニコと、笑顔を絶やさない人でしたが厨房では厳しかったですね。カレーの火加減が悪いと「これじゃ、ダメだ」と最初から作り直したことが何度もあります」
さて、お気づきでしょうか? 成田さんは「店長」でも「マスター」でもなく内藤さんを「駅長」と呼びます。そう、この「ナイアガラ」こそ、鉄道マニアの間ではあまりにも有名な店。店内一杯に蒸気機関車のプレートや駅名などの表示板を張りめぐらし、鉄道関係のグッズがあふれかえっています。昔の客車の座席そのままの席で待っていると、模型の蒸気機関車が、出来上がったカレーやピラフを運んできます。子どもだけでなく大人も喜びの声を上げるという鉄道三昧の店なんです。
数千点にもおよぶ内藤博敏さん=駅長の鉄道グッズのコレクションは、大宮の「鉄道博物館」も一目を置くほど・・・。内藤さんの「鉄道」と「カレー」への情熱には、深~いわけがあります。
東京大空襲の前の年=昭和18年、8歳だった内藤さんは富山県のおばあさんの家に縁故疎開をすることになりました。旅立ちの日の前の晩、お母さんは、ライスカレーを作ってくれたといいます。どこから集めて来たのか、貧しい食材でしたが、それは最高においしいカレーとして、内藤さんの味覚の記憶に残ったそうです。
3年間にわたる富山での疎開生活は一日一日が長く、10年にも感じられたことでしょう。「早く東京に帰りたい」「お母さんに会いたい」・・・。内藤さんは毎日のように地元の駅へ通い、東京行きの蒸気機関車をながめては、胸につのる郷愁をなぐさめていたといいます。
「鉄道」と「カレー」への情熱が、ここでつながりました。内藤さんが初めて手にした鉄道関連のグッズは、顔見知りになった駅長がくれた使用済みの切符と鉄道員の制服のボタンだったそうです。
昭和25年、中学を卒業した内藤さんは、両親と家業の鮮魚店を再興するために奮闘。コックの修業の後、昭和38年に「ナイアガラ」を開店しました。店のインテリアは当初、インドの民芸品だったそうですが、昭和40年代に入って、店が軌道に乗ると、少年時代の鉄道熱が再燃!
内藤さんは、全国各地の駅や機関区を巡り歩いては、写真撮影や機関車の部品収集を始めました。内藤さんご自慢のコレクションは、昭和51年、蒸気機関車として最後のお召列車をけん引した「C57 117」号車の動輪。九州の宮崎から祐天寺まで運ばれた動輪は、地元幼稚園の前に展示され、毎日のようにそれを磨く内藤さんの姿が見られたといいます。
亡くなったことを知らない常連のお客さんは、今も尋ねるそうです。「あれ? 今日は駅長さんは?」こんな時、成田湖葉里さんは、こう答えることにしているそうです。
「駅長は、銀河鉄道999に乗車して、アンドロメダへ旅立ちました」
上柳昌彦あさぼらけ 『あけの語りびと』
2017年10月9日(水) 上柳昌彦 あさぼらけ あけの語りびと より
朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ
番組情報
眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ