戦後80年 私たちが語り継いでいく戦争
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終戦から80年を迎えた8月15日。
第二次世界大戦での、日本本土空襲や東京大空襲。広島、長崎への原子爆弾投下、沖縄戦など、国内各地が甚大な被害を受けた。戦後80年の節目にあたり、各地で当時を振り返る展示や取り組みが行われている。

原爆ドーム
一方で「戦争経験者の減少」は喫緊の課題となっている。当時の状況を知る人は高齢化し、語り継いでいく人材が非常に少なくなっていることが不安視されている。
戦争経験者が少なくなっている今、戦争を経験していない世代へ、戦争について語り継いでいくことをテーマに、ニッポン放送・前島花音アナウンサーが取材を行った。
今回訪れたのは、東京都九段下にある施設「昭和館」。
「昭和館」は昭和の時代に国民が経験した戦争の記憶とくらしを継承し、その時代の国民生活に関する歴史的資料、情報を収集、保存、展示し、労苦を次世代に伝える国立の施設だ。
昭和館では、戦争の経験はないものの、次世代に伝えたいという思いを持った方々が、当時の人々の暮らしを学び、語り継いでいる活動「次世代の語り部」を実施している。
2016年に厚生労働省の依頼を受けて開始し、1期生から3期生を募集。3年間の研修を経て、現在は19人が昭和館内外で講話を行っている。
講話のテーマは21種にわたり、「疎開生活」「学校生活」などに加え、語り手の職業や特技を生かし「気候」「動物」といった切り口から戦争を伝えるものもある。
「次世代の語り部」として活動する皆川初江さん(60)は、「私が小学生だった頃に、父が墨田区に住んでいて東京大空襲を経験しました。そのため、父から色々と聞くことがありまして。多くの方が亡くなり、もし父も亡くなっていたら、当然私も生まれていませんでした。“火の粉で目をやられた”など、父から聞いた話がぐるぐると頭の中でまわって、本当に怖い思いをしたんです。『話を聞いただけでこんなに辛いのだから、そこで実際に生活していた人たちは、一体どんな気持ちだったのだろう?』と考えるようになったことが、活動を始めたきっかけです。私は子どもに向けた講和をしたかったので、内容を噛み砕いた分かりやすい原稿を作成しました」と語る。
皆川さんは、研修で当事者から聞いた「忘れないでほしい」「伝え続けてほしい」という言葉を胸に、講話する自分も聞き手も「戦争を経験していない」同じ立場であることを踏まえ、寄り添う語り方を模索している。講話を聞いている生徒から様々な反応があるという。
皆川さんは「(戦争は)歴史の中の出来事ではなく、あなたの血のつながった祖先が経験し、いつ起きてもおかしくない、ということを感じて欲しいです。また、あえて全て言葉にするのではなく、事実を伝える中で、考えて汲み取ってほしいです」と思いを語った。
これまでに寄せられた感想には、「教科書では知れないことを学べた」「自分がどれほど恵まれているか分かった」「死が身近にあることを知って怖くなった」といった声がある。小学校低学年では、講話内で主人公の両親が空襲で亡くなる場面に涙を流す児童もいたという。
「『現在の平和な世の中は絶対に決して当たり前ではなく、多くの先人の苦労の上に成り立っている』という事実を伝えていきたいです。未来を担う次世代に向けて、戦争中に起こったことを自分ごととして捉えてもらい、さらにそれを次に世代につないでいってほしい。『平和は当たり前のものではなく、何物にも代えがたい大切なものだから、守り続けてほしい』と伝えたいです」と、皆川さんは思いを述べた。
また、講話の最後には必ず「今日の話の中から一つでも家に持ち帰り、身近な人に伝えてほしい」と伝えているといい、「それだけで、戦争を経験した方たちの『後世へ伝え続けてほしい』という想いに応えたことになります。“戦争”と聞くと、なんだか難しいことであると想像しがちですが、実は私が講話原稿を作るにあたって参考にしたものは、戦争をテーマにした絵本や絵、漫画なんです。なので、難しいと思わないで図書館などに行き、まず一冊、手に取ってみるだけでも、次世代へ想いを繋げることの一助になると思います。」と語った。
「次世代の語り部」が戦争について伝え続けていくことを大切に活動している中、日本原水爆被害者団体協議会(通称「被団協」)では、戦争経験者そして被爆者として発信を続けている。
被団協は1956年、広島・長崎の被害者による全国組織として発足し、核兵器廃絶や被爆者救済を訴える活動を行っている。昨年、2024年にはノーベル平和賞を受賞し、国内外に向けてメッセージを発信し続けている。

箕牧智之さん
今回、被団協代表の箕牧智之さん(82)にも取材した。京都板橋区に生まれ、東京大空襲に見舞われた後、父親の故郷である広島に疎開して3か月後、原子力爆弾が投下された。
箕牧さんは「今の子どもたちは戦争経験がなく、80年間、平和の中で生活している。食べ物にも不自由しないし、自分の家には車もあり、テレビも洗濯機もある。学校に行って、しっかり勉強して家へ帰って楽しい家庭生活を送っているが、ひとたび戦争が始まると、もう明日の命が分からくなってしまいます。そのことを今の子どもたちは知らないですからね。広島へ来られて、広島の平和公園で色々な話をすると、『こんなきれいな公園に原子爆弾が落ちたんですか』というような質問が出ます。でも、そうではないんです。ここはいっぱい家が建っていて、個人商店もたくさんあったのです。八百屋さん、魚屋さん、散髪屋さんなどが並んでいました。なかなか今の小学生あたりには理解が難しいと思いますが、やはり今のうちに、そういう知識を備えてほしい。『平和国家は、戦争や核兵器のない世界でありたい』ということを、伝えてほしいです」と、戦争について学び、今後自分たちだけでなく、次世代にも戦争が起こらないように伝え続けてほしいと話した。
取材を終えた、前島アナウンサーは「これまで戦争当事者の方から、直接お話を伺う機会はありませんでしたが、今回、被爆体験の継承や語り部の取り組みに触れ、今後さらに学びを深めたいと思いました。本記事が『戦争=難しいもの』というイメージを和らげ、身近な人へ一つでも言葉を渡していく契機になれば嬉しいです」とコメントした。
戦争が人々の生活や命を脅かし、深い傷を残すものであること、そして二度と繰り返してはならないという教訓を伝え続けるためには、まず歴史を知ることが重要だ。
本取材の内容は、ニッポン放送PODCAST STATION「ニッポン放送 報道記者レポート2025『戦後80年 私たちが語り継いでいく戦争』」で配信している。
第一日曜日に「次世代の語り部」の講話がある他、戦時中のポスター展示なども行われています。昭和の時代に国民が経験した戦争の記憶を継承し、またその時代の国民生活に係る歴史的 資料・情報を収集、保存、展示し、その労苦を次世代へ伝える国立の施設です。
ニッポン放送の本社がある東京・有楽町の東京宝塚劇場では、学徒動員で集められた女学生たちが“日本最後の決戦兵器”と呼ばれる「風船爆弾」の製造に従事させられていました。製造の従事した元女学生3人の貴重な証言や元女学生たちが残した手記をもとに、宝塚歌劇団出身の女優・黒木瞳さんのナレーションで、「風船爆弾」の事実や戦時下の女学生たちの想いや本音などをお伝えしています。
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