口で描く画家 外へ連れ出してくれた父親との思い出
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それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
埼玉県越谷市に住む、梅宮俊明さんは、51歳。いま、自宅のアトリエで長い絵筆を口にくわえ、イギリスの古い町並みを油絵で描いています。
俊明さんは19歳の時、知人の車の乗っていて交通事故に遭います。手足に感覚がない。思わず、周りにいた人にこう叫びます。「俺の、手足、ありますか!」
すぐに気を失い、意識が戻った時は病院のベッドの上でした。緊急手術を受け、体を固定され、身動きが出来ないまま7ヶ月もICU(集中治療室)で天井を見て過ごす日々……。考えることは「早く死にたい……」、そればかりでした。
しばらくして担当医からこう宣告されます。「頸椎損傷による麻痺で、今後、手足が動くことはありません」
病院を移った俊明さんは車イスでの生活が出来るようにリハビリを受けますが、まだ19歳……、自分の人生は、これから、どうなっていくんだろう……不安ばかりが募ります。
俊明さんの実家は、既製服の仕上げでアイロンをかけるプレスの工場(こうば)を営んでいました。
「うちの父は、頑固な職人で、仕事が終わると大好きなお酒を飲む、典型的な昭和のオヤジでしたね。子供の頃、『仕事場には、金が埋まっているんだ』とよく聞かされ、将来は家業を継ぐものだと思っていたんです」
胸から下の感覚がない俊明さん。家族で介護をするのは大変だから「施設に預けた方がいい」と、周りから言われますが、父親はこうはねのけます。「オレの息子だ。オレが息子の面倒を見る!」
〝バリアフリー〟という言葉がまだ珍しかった時代……父親は俊明さんをどんどん外へと連れ出しました。
「川口オートや戸田競艇によく連れて行ってくれたんですよ。広々としていて、階段にスロープもあって、バリアフリーでね。レースの爆音は迫力があって、気分爽快になりましたね。当時、障害者というと街に出られない空気があって、街に出ても話しかけられることはなく、目も合わせてくれない、それでも親父は、俺のために、頑張ってくれたんですよ」
ところが、一家の大黒柱だった父親が62歳で亡くなります。30代前半だった俊明さん。重労働の介護を母に頼るわけにもいかず、さあ、これからどうしよう、と困ります。
「ちょうどその頃、介護保険制度が始まったんですよ。24時間の介護サービスを受けられることになり、訪問ヘルパーさんにはいまでも助けてもらっています」
そんなことから地元の社会福祉協議会と交流が生まれ、「社協だより」という広報誌に俊明さんの生活が紹介されました。それを見た方から「絵画サークルで絵を描きませんか?」と誘われます。筆が持てない自分に絵が描けるのか?
「口に筆をくわえて絵を描く星野富弘さんのことは知っていました。群馬県の美術館に連れて行ってもらって、素敵な絵の中に星野さんが最初に描いた絵を見つけたんです。『星野さんでも最初はうまくないんだ。俺でも出来るかな……』と思ったのが、絵を描くキッカケでしたね」
絵の題材は、父親に連れて行ってもらった競艇のレースや、母、飼い猫、風景画、応援する浦和レッズの試合……いま、俊明さんが描いている絵は甥っ子がイギリスに留学した時「写真を撮ってきて!」と頼んだオックスフォードの町並みです。
車イスの生活になって32年……近ごろは小学校での講演依頼もあって、絵を描く楽しさを子供たちに教えるなど、俊明さんの活動範囲も広がっています。
「あの時、オヤジが『オレが面倒を見る』と言ってくれなかったら、今の自分はあったのかな、と思うんですよ。だから、健康で絵を描くことがオヤジへの、恩返しかなと……」
『これから描いてみたい絵は』とうかがうと、俊明さん、目を輝かせて、こう答えてくれました。
「東京オリンピック・パラリンピックに向けて、陸上や競泳など、躍動感あふれる絵を描きたいですね」
梅宮俊明さんは、「口と足で描く芸術家協会」に参加する画家です。
この協会は、ヨーロッパのリヒテンシュタインに本部があって、日本での活動は、56周年を迎えます。
こちらの活動は、定期的に展覧会を開催する他、絵が載ったカレンダーやクリスマスカード、年賀はがき、お皿、コップ、タオルなどのグッズも販売しています。その収益は、奨学金などに使われているそうです。
詳しい活動は「口と足で描く芸術家協会」をご覧ください。
上柳昌彦あさぼらけ 『あけの語りびと』
2017年11月8日(水) 上柳昌彦 あさぼらけ あけの語りびと より
朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ
番組情報
眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ