森山直太朗が大号泣しながら歌った「思い出の曲」とは?

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11日(月)夜、氣志團の綾小路翔がパーソナリティを務めるラジオ番組『綾小路翔のオールナイトニッポンPremium』が放送され、ゲストとして登場した歌手の森山直太朗が想い出の合唱ソングについて語った。

森山直太朗が大号泣しながら歌った「思い出の曲」とは?

今回番組ではゲストにシンガーソングライターの森山直太朗と作詞家の御徒町凧を迎え、『木更津代表・綾小路翔vs成城代表・森山直太朗 with御徒町凧!俺たちの青春ミュージックベストヒット』という企画を行った。この企画は、木更津出身の綾小路と成城出身の森山という同じ年の同じ月に生まれた2人が、距離(道のり)にして約100km離れた物理的な隔たりの中で、どれぐらいの違いを持っているのかを選曲バトルの中で見出していくというもの。幼少期から自分自身を彩ってきた数々の曲を紐解くことによって、まだ夜に出していないパーソナルな部分をさらけ出していこうという趣旨になっている。

数々のテーマに沿って楽曲を挙げていった2人だったが、中でも盛り上がったのが『思い出の合唱ソング』。森山の母校である成城学園では、合唱が盛んであると語った綾小路だったが、しかし当時の森山は合唱にのめり込むことはなく、唯一思い入れのある合唱ソングは、海援隊の『贈る言葉』だったという。

森山:中高の自意識が盛んな時期に、母親(森山良子)が歌っているから、周りから上手いんじゃないか?みたいに見られてるんじゃないかっていう、変な自意識が芽生えちゃって。

綾小路:うん。

森山:先生の前で1人ずつ歌わなきゃいけないっていうのがあったんだけど、それも怖くて。唯一先生に反抗した瞬間だった。俺、先生にあんまり殴られたことなかったけど、そのときだけは殴られた。

綾小路:へぇ~、歌わないから。拒否したんだ。

森山:で、そんな中、高校の最後の試合があって。その場にケイ(御徒町)もいたと思うんだけど。俺たちが所属してたサッカー部が、結構強いと言われてて。

綾小路:うん。

森山:それが1回戦で、当時の俺たちから見たら格下なんじゃないかっていうチームに、あっさり負けちゃったの。

綾小路:あ~。

森山:俺は、Jリーガーとかそういうのやりたいって夢見てて、それが1回戦で負けちゃって。何のために合宿して練習してきたんだっていう。で、普通だったら泣きたいんだけど、なんか唖然としちゃって。

綾小路:これが俺のエンディングか!みたいな。

森山:みんなでポツポツと着替えて、成城生っぽく「楽しくねーな」みたいな。ありがとうもできずに終わって。

綾小路:うんうん。

森山:誰からともなく、俺が言ったのかな?「下北行くか」って言って後輩たち連れてみんなで行ってカラオケに入って。そこで俺が、盛り上がんないな~と思って、ギャグで『贈る言葉』を「くれぇ~なずむ~♪」ってマネしながら歌ってたの。

綾小路:うん。

森山:そしたら、俺たちと同じ代のM君っていうのがいて、彼はキーマンだったんだけど、勉強ができなくて落第しちゃったの。

綾小路:あ、もう決まってたんだ。

森山:落第しちゃうと試合に出られないの。キーマンだったのに出られなくて、M君はいっつもベンチで俺たちを見てたんだけど。普段全然歌を歌わない俺が『贈る言葉』を歌ってたら、M君が肩をヒクヒクさせて泣いて「俺がいけなかったんだ。俺がダブったから負けたんだ。」って。

綾小路:M君は出られなかったからね。

森山:その瞬間に、みんなが「俺がいけなかったんだ!」「ごめん!」って言って、カラオケボックスでみんなで大号泣して、なぜか最後に『贈る言葉』を大合唱して(笑)

綾小路:あはは(笑)

森山:俺の合唱の初めての経験だった。

1人が泣いてくれたことで、みんなで泣きながら大合唱できたという、青春時代の思い出を語った森山。一方の綾小路は、シング・アウトの『涙をこえて』を選曲し、この曲が大好きだったという少年時代の思い出について語った。

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