1970年の本日、ザ・タイガース最後のスタジオアルバム『自由と憧れと友情』がリリース

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ついに本2017年はザ・タイガース1967年のレコード・デビューから50周年!
残念ながらタイガースとしての再結集は無いにしても、ジュリーがタイガースの曲も含めて50曲を歌い尽くすコンサートツアーが来年1月まで開催中。私も馳せ参じたが、まず冒頭でスクリーンに映される50年分の映像を眺めていると、単なる時間の経過だけではない歴史的な意義も加味して「半世紀」と捉えるのがふさわしい気がした。

ところで、グループサウンズ(GS)の先駆だったブルー・コメッツも代表作「ブルー・シャトウ」の1967年の発売から50年。本年8月28日に中野サンプラザで開催された記念ライヴには私も行って堪能したが、その1967年、12歳だった私の記憶にあるGSは圧倒的にブルー・コメッツで、「ブルー・シャトウ」「マリアの泉」「北国の二人」のクリーンナップ3連打の強烈さは身に染み付いている。
一方、当年のタイガースの記憶は、とんと無い。実はスパイダースなども同様なのだが、やはり民放は1局だけだった地方のTV事情では、長髪GSがNHKに出演出来なくなったことは大きかったはず。

ところが、翌1968年になると、そんなTV事情は同じでも、GSの主流はブルコメやスパイダースから一気にタイガースやテンプターズなどの第二世代へと移り変わったように感じられたものだ。積極的に芸能誌などを読んだことも無かったのだが、色々な処からGS界の情報が発信されていたということなのだろう(いや、単に新聞下欄に載る芸能週刊誌の広告からの刷り込みが大きかったりして)。
ともかく、1968年こそはGSブームのピークであり、それが加橋かつみのタイガース脱退となった1969年春あたりから明らかに下降線をたどったというのがリアルタイムでの田舎の中学生の個人的感覚だったが、まさしく現実もその通り。
しかし、GSの解散が相次ぐことになっても、タイガースだけは人気をキープしているように見えたが、1970年を迎えると内部では解散がリアルに語られるようになっていたという。

そして、同年12月7日付けの芸能新聞のスクープを受けて翌日に解散が正式発表されたのだが、かように行き詰っていたのに12月15日に新アルバム『自由と憧れと友情』が発売されることになっていたのは不思議な感もある。
もっとも、「出発のほかに何がある」および「誓いの明日」とのタイトルの曲が最初と最後に配置された構成は(すでに両曲とも11月20日にシングルのAB面として発表されていたのだが)いかにもラスト・アルバム風だ。
また、スーツを着て神妙な顔付きをした各メンバー単独のポスター5枚も渋い色調だったし、卒業記念という風情の集合写真は小さくてセピア色、それらが入っていたジャケットは裏側の留め金まで再現されている事務用の茶封筒仕様、と予算は掛かっているのに実に地味なたたずまい。卒業生の寄せ書きにでも書かれそうなアルバム・タイトルも含め、「華やかなアイドルからの卒業」「新たな自立的旅立ち」が静かに強調されているようで、これらは同作を共同プロデュースしたタイガース自身の意志だったのだろう。
いや、むしろメンバー側では、このアルバム自体を解散宣言とするような企てもあったのだが、前述のスクープのため発売前に解散を発表せざるを得なかった、なんて深読みも出来る気がしてならない。

1970年の本日、ザ・タイガース最後のスタジオアルバム『自由と憧れと友情』がリリース

タイガースは当時7枚のLPをリリースしたが、ライヴ盤が3枚、べスト盤的なものが2枚。すなわち、オリジナル・アルバムと言えるのは1968年の『ヒューマン・ルネッサンス』、そしてこのアルバムの2枚だけだったが、前者がトータル・アルバムとしてキッチリした統一感があったのに較べるまでもなく、こちらはバラバラ感が目立つ。ただし、メンバーが作曲したのは前者では2曲だけだったのに、こちらは森本太郎3曲、沢田研二2曲の5曲。
作詞は従来のように安井かずみ、山上路夫がメインだったとはいえ、作曲者は他にクニ河内とチト河内(いずれもハプニングス・フォー)、エディ藩(ゴールデン・カップス)、かまやつひろし(スパイダース)、さらにはGSの範疇からはハミ出る柳田ヒロ(エイプリル・フール~フード・ブレイン)の顔ぶれで、日本ロックの過渡期っぽい感触。決して完成度は高くなかったにしても、末期GSによく見られたような既存の歌謡曲への媚びが無いのは頼もしい。
リード・ヴォーカルもジュリーのみならず、岸部シロー3曲、岸部修三(一徳)2曲となっていることもあり、同じくGS仲間が集って作られた同年2月リリースの岸部兄弟のアルバム『サリー&シロー/トラ 70619』と同一線上にあるようだ。そして、この延長線上に翌年のニュー・タイガース、じゃなくてPYGの音楽もあったと思われる。
(が、そうしたニュー・ロック路線には否定的だった加瀬邦彦による「お茶の間ロック」コンセプトで、やがてジュリーは再ブレイクを果たすことになるのだが、それはまた別の話)

録音日に関しての明確なデータは見当たらないが、いっぺんに録音されたのではなく、解散が内定した同年の夏あたりから散発的に(ひょっとしたら、それぞれの外部作曲者も演奏に参加して)レコーディングされていたものではないだろうか。
それも散漫な印象となった一因かもしれないが、この最後のアルバムは、まとめ上げてタイガースの集大成とするようなことに主眼は置かず、もちろん過去の栄光を振り返るつもりも無く、自身の動向も含めて混沌としていた時期における日本のロック・バンドとしての様々な音楽的可能性をスクラップして事務的に茶封筒に入れておいたもの、と思える。
そして、その表側に書かれるべき警句は「Confusion will be OUR Epitaph」だったりして。

【著者】小野善太郎(おの・ぜんたろう):高校生の時に映画『イージー・ライダー』と出逢って多大な影響を受け、大学卒業後オートバイ会社に就職。その後、映画館「大井武蔵野館」支配人を閉館まで務める。現在は中古レコード店「えとせとらレコード」店主。 著書に『橋幸夫歌謡魂』(橋幸夫と共著)、『日本カルト映画全集 夢野久作の少女地獄』(小沼勝監督らと共著)がある。横浜の映画館シネマノヴェチェントにて「甦る大井武蔵野館」企画の際は支配人として復活。
1970年の本日、ザ・タイガース最後のスタジオアルバム『自由と憧れと友情』がリリース

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