雛人形が江戸時代に立ち姿から座った理由とは? 雛まつりの歴史(1)

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今年も雛祭りの季節が近づいてきました。そんな《雛祭り》の主役、雛人形も時代によって流行があるそうです。
毎年、東京都指定有形文化財「百段階段」を舞台に、各地方の雛人形を展示している「ホテル雅叙園東京」の百段雛まつり担当の方にご協力頂き、雛人形の時代別の違いをご紹介したいと思います。

*なお雛人形については諸説あります。

雛祭りは、平安時代の頃、中国から伝わった風習と言われています。草木や紙でひとがたを作り、身の災厄をこれに移し、水に流していたそうです。各地で行われる流し雛は、この風習の名残といわれています。

そんな《雛人形》が大きく進化したのは江戸時代。

最も古い雛人形といわれるのは、江戸時代の前からあったと言われる「立雛(たちびな)」という《立ったスタイル》の和紙で出来た《雛人形》といわれています。「立雛」は、頭部以外は扁平に作られているので、自立する事は出来ず、屏風などに立て掛けるなどして飾られたそうです。最初は紙でしたが、やがて布になり、次第に豪華な衣裳になっていきました。

立ち雛

(立ち雛)

江戸時代になると、現在の形、座った形の《雛人形》が登場します。
江戸時代の初めに作られたのが<座雛(すわりびな)>の「寛永雛(かんえいびな)」
現代の《雛人形》と比べると、小さなサイズで、座った姿で、着ている衣裳も、きものに袴で、古い格好をしています。

寛永雛

(寛永雛)

その次に古いのが、「元禄雛(げんろくびな)」
「寛永雛」に似ていますが、一回り大きく、着ている衣服は十二単のような衣裳に変わってきました。ただ、この頃のお雛様の飾り方は、一段か、二段の低い台にお雛様を飾る質素なものだったそうです。

元禄雛

(元禄雛)

その後、徳川八代将軍・吉宗の《享保年間》の頃に流行したのが「享保雛(きょうほびな)」
(なお、この「享保雛」という呼び名は明治になって命名されたもので、必ずしも、この名のお雛様が、享保時代に制作されたわけではないそうです。)
京都で生まれた「享保雛」が流行、この《享保》の時代は、バブル期のような豪華絢爛な時代だった為に、《雛人形》も豪華で、高級、そしてサイズも大きく作られました。
大きなものは、45cm~60cmもあったそうです。顔は能のお面のような感じで、面長、切れ長な目、少し開いた口、手足の細やかな細工が特徴です。男雛・女雛の衣裳はともに布で、男雛が束帯風、女雛は袴えを大きく膨らませ五衣(いつつぎぬ)を着て、宝冠を被っています。

享保雛

(享保雛)

そして、江戸時代後期に登場したのが、江戸生まれの「古今雛(こきんびな)」
目には水晶やガラスを入れ、写実的な面相と華麗な衣裳で人気になります。本来は、江戸の町民向けに作られたお雛様でしたが、大名家にも人気で、雛人形の本場・京都にも影響を与えたと言われています。現在主流となっている雛人形も、この「古今雛」がルーツとされています。
また、この時代には、宮中や公家、大名家などの上流階級の雛人形として「有職雛(ゆうそくびな)」、顔の丸い「次郎左衛門雛(じろうざえもんびな)」が京都で生まれました。

古今雛

(古今雛)

そして、幕末には、江戸では、7段飾りが行われるようになったほか、上方(かみがた)では、豪華な《御殿飾り》が行われるようになりました。

御殿飾り

(御殿飾り)

ホテル 雅叙園 東京 百段雛まつり 近江 美濃 飛騨 ひな紀行 ポスター

(ポスター)

今回、ご協力を頂いたホテル雅叙園東京の「百段雛まつり」、今年は「近江・美濃・飛騨 ひな紀行」と題して、彦根藩主、井伊家・砂千代姫の雛人形と雛道具や飛騨高山の老舗旅館と旧家のお雛様、そして先程出てきた御殿飾りのお雛様、指先程の小さな郷土玩具など、滋賀と岐阜の町々に息づく百花繚乱のお雛様が展示されています。

ホテル雅叙園東京 「百段雛まつり ~近江・美濃・飛騨 ひな紀行~」
開催期間 1月19日(金)~3月11日(日)会期中無休
開催時間 10:00~17:00(最終入館16:30)
入場料 大人1500円 学生800円
その他、お食事が付いたセットプランなどあり
公式HP http://www.hotelgajoen-tokyo.com/hinamatsuri/

(よこいみちひと)


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